2009年 04月 13日
今西ゼミレポート-公営住宅が抱える問題について |
今西レポート第2回のタイトルは「地方都市における住宅ストックの活用とまちづくり-福島市の公営住宅を事例に-」であった。
これは、戦後から続いてきた日本の公営住宅制度が、現在抱えている問題を浮彫りにし、その改善策を提示することを目標としたレポートである。論文が挙げている公営住宅の問題点とは、「1.公営住宅にはセイフティネットとしての役割りが強く期待され、住民構成が低所得者と高齢者に偏りがちである」 「2.古くなった公営住宅の建替えや補修が追いついておらず、スラム化が進行する危険性が高い」 「3.住環境の悪化や住民構成の偏りがコミュニティの形成を困難にしている傾向がみられる」ということであった。そこで、今後はリフォームなどに力をいれて、改修による居住環境水準の向上を図りながら、住民構成が偏らない公営住宅の実現を目指すべきではないかと論文は締めくくっていた。
さて、この論文には評価教員による「講評」がついていた。評者はこの論文の質の高さを誉めながらも、なかなか厳しくも適確な評価を下していたので、まずはその部分に触れることにしよう。論者によるこの論文の物足りないと感じた部分は以下の3点。1.本稿の解決策として提示されている「ソーシャルミックス(住民構成の偏りをなくす提案)」が公営住宅の役割りとして期待されているセーフティネットを制限しなければ実現できそうもない点 2.コミュニティの欠如も入居者の偏りも最終的にはハード面の住環境整備で解決できるのではないかという提案だが、財政的展望がみえないという点で行き詰っている点。3.以上よりどのような公営住宅政策が求められるのかという具体的なイメージが見えてこない点。
なるほど、厳しいがなかなか筋の通った評論である。さて、ではどうすれば、この問題は解決できるのだろう?なかなか簡単なことではないので、そう易々と答えを導き出すことはできないかもしれないけれど、僕はこの論文を読んで、ひとつ引っかかった部分があった。それは「理想的なソーシャルミックスを実現できたとしても、それがコミュニティの欠如を解消する決め手となりうるのであろうか?」という疑問であった。そもそも「まち」というものは、ある程度のソーシャルミックスが実現されているだろうはずの場所である。その中でさえコミュニティの欠如がさけばれている今、単純にソーシャルミックスを実現しただけで、すべてが解決すると結論付けるのは短絡的にすぎるのではないだろうか。もちろん住民構成が低所得者に限られてしまうために、建替えやメンテナンスなどの対処に協力的な住民が減り、スラム化をおこしてしまうという問題は良くわかる。だが、コミュニティの問題は、その部分とは全く切り離して考えてもよい問題ではないかと思ったのである。極端な言い方をするならば、「低所得者だけの場所にコミュニティを発生させることだって可能なはずだろう」と思ったわけなのです。
例えば、施設の内部に住民同士のコミュニティが自然と発生してしまうような施設を入れ込んでみたらどうだろう?老人も自然と利用するということであれば、銭湯とかがいいかもしれないし、リハビリセンターとかも機能するかもしれない。そんな施設を外部の人間も利用できるような体裁で経営できる体制を整えたならば、そこには自然とソーシャルミックスなコミュニティが発生するような気がする。また、老人にも生きがいが感じられるようなライフスタイルの提案として、安い民宿を入れ込み、自分達の町のことを紹介するようなツアーを組むというのも楽しいかもしれない。コミュニティのことだけを解決するのであれば、なにか他のアイディアもでそうな気がしたのでした。
これは、戦後から続いてきた日本の公営住宅制度が、現在抱えている問題を浮彫りにし、その改善策を提示することを目標としたレポートである。論文が挙げている公営住宅の問題点とは、「1.公営住宅にはセイフティネットとしての役割りが強く期待され、住民構成が低所得者と高齢者に偏りがちである」 「2.古くなった公営住宅の建替えや補修が追いついておらず、スラム化が進行する危険性が高い」 「3.住環境の悪化や住民構成の偏りがコミュニティの形成を困難にしている傾向がみられる」ということであった。そこで、今後はリフォームなどに力をいれて、改修による居住環境水準の向上を図りながら、住民構成が偏らない公営住宅の実現を目指すべきではないかと論文は締めくくっていた。
さて、この論文には評価教員による「講評」がついていた。評者はこの論文の質の高さを誉めながらも、なかなか厳しくも適確な評価を下していたので、まずはその部分に触れることにしよう。論者によるこの論文の物足りないと感じた部分は以下の3点。1.本稿の解決策として提示されている「ソーシャルミックス(住民構成の偏りをなくす提案)」が公営住宅の役割りとして期待されているセーフティネットを制限しなければ実現できそうもない点 2.コミュニティの欠如も入居者の偏りも最終的にはハード面の住環境整備で解決できるのではないかという提案だが、財政的展望がみえないという点で行き詰っている点。3.以上よりどのような公営住宅政策が求められるのかという具体的なイメージが見えてこない点。
なるほど、厳しいがなかなか筋の通った評論である。さて、ではどうすれば、この問題は解決できるのだろう?なかなか簡単なことではないので、そう易々と答えを導き出すことはできないかもしれないけれど、僕はこの論文を読んで、ひとつ引っかかった部分があった。それは「理想的なソーシャルミックスを実現できたとしても、それがコミュニティの欠如を解消する決め手となりうるのであろうか?」という疑問であった。そもそも「まち」というものは、ある程度のソーシャルミックスが実現されているだろうはずの場所である。その中でさえコミュニティの欠如がさけばれている今、単純にソーシャルミックスを実現しただけで、すべてが解決すると結論付けるのは短絡的にすぎるのではないだろうか。もちろん住民構成が低所得者に限られてしまうために、建替えやメンテナンスなどの対処に協力的な住民が減り、スラム化をおこしてしまうという問題は良くわかる。だが、コミュニティの問題は、その部分とは全く切り離して考えてもよい問題ではないかと思ったのである。極端な言い方をするならば、「低所得者だけの場所にコミュニティを発生させることだって可能なはずだろう」と思ったわけなのです。
例えば、施設の内部に住民同士のコミュニティが自然と発生してしまうような施設を入れ込んでみたらどうだろう?老人も自然と利用するということであれば、銭湯とかがいいかもしれないし、リハビリセンターとかも機能するかもしれない。そんな施設を外部の人間も利用できるような体裁で経営できる体制を整えたならば、そこには自然とソーシャルミックスなコミュニティが発生するような気がする。また、老人にも生きがいが感じられるようなライフスタイルの提案として、安い民宿を入れ込み、自分達の町のことを紹介するようなツアーを組むというのも楽しいかもしれない。コミュニティのことだけを解決するのであれば、なにか他のアイディアもでそうな気がしたのでした。
by kenzo_stsk
| 2009-04-13 12:11
| ■研究