2009年 09月 12日
バスとタクシー |
昨日、結局仕事にいった。
朝起きると奇跡的に体調が復活していた。長女の体調も大方復活していたし、妻も大事をとって会社に休みを申請してくれていたりして、結局パスしようとしていたショウルーム行きにでかけた。吐き気はすっかりおさまっていたし、聞けば急性胃腸炎はマスクで飛沫感染を防げば、ほとんどうつらないということだった。
一つ目の目標であったサッシメーカーのある品川駅に降りるとまだ奥様はおられなかった。僕より早く出られたように聞いていたので、少し不思議だったが、実はそのとき、バスが近くの交通事故に巻き込まれ、思わぬ渋滞に巻き込まれたとあとで聞いた。都市ではなにかアクシデントがあると、かなりの影響を受けることがときにあるものだ。
ひとつめのメーカーをあとにして、駅に向おうとすると奥様が「電車でいくのですか?」と少し意外そうな顔をした。聞くと「タクシーを利用すると思った」という。時間をみるとまだ、少し余裕があるように思えたし、奥様に昼食のことについて尋ねると、ランチは何時も不規則なので、別に今のタイミングでとらなくてもよいとおっしゃる。結局、品川駅から電車で国際展示場前にむかうこととした。
駅までの長い道を歩きながら、僕は何故か全く関係のないことを考えていた。それは、もし僕が奥さまのように、日頃からバスやタクシーを利用していたとしたら、そういった交通機関への想いが少し違ったものになっていたかもしれないということだった。「もしそうだったら、奥様は僕が『下北沢の都市計画』について全く違った考え方をしていたと思われますか?」と僕はいった。「う~ん。わからないけれど、あの道は私も全く要らないと思います」と彼女は答えた。
道路は必要か不要か?実はそのとき僕が考えていたのは、そんなこととは全く違う次元のことだった。あれだけ「多種多様」な都市計画が、僕も含めた多くの専門家や一般の人たちによって提案されているのに、世論があまり道路の不要性について盛り上がらないのは一体何故なのだろうということだ。
もし僕が普段からバスやタクシーを使っていたとしたら、きっとそれらの交通機関に対して今よりも愛着をもっていたはずだし、それならば「道路反対」と聞いただけで、そのあとの魅力的なプランが全く目にはいらなくなってしまうかもしれない。もしも、「道路反対」ではなく「バス乗り場はここ!」とか、「タクシーを拾えるスペースはここ!」とかいう言葉や図面で、適確に表現されていたならば、今より多くの人が「ほんとうは道路は不要である」ことに気がつきはじめる気がした。つまり、「道路反対」という言葉があまりにはっきりとした意思表示なので、人はそのあとに続く言葉に全く目がいかなくなっているだけなのではないか?
そのとき、僕が考えたのは、そんなことだった。
しばらく「道路反対」という言葉を封印してみようと、僕は個人的に決心をした。
朝起きると奇跡的に体調が復活していた。長女の体調も大方復活していたし、妻も大事をとって会社に休みを申請してくれていたりして、結局パスしようとしていたショウルーム行きにでかけた。吐き気はすっかりおさまっていたし、聞けば急性胃腸炎はマスクで飛沫感染を防げば、ほとんどうつらないということだった。
一つ目の目標であったサッシメーカーのある品川駅に降りるとまだ奥様はおられなかった。僕より早く出られたように聞いていたので、少し不思議だったが、実はそのとき、バスが近くの交通事故に巻き込まれ、思わぬ渋滞に巻き込まれたとあとで聞いた。都市ではなにかアクシデントがあると、かなりの影響を受けることがときにあるものだ。
ひとつめのメーカーをあとにして、駅に向おうとすると奥様が「電車でいくのですか?」と少し意外そうな顔をした。聞くと「タクシーを利用すると思った」という。時間をみるとまだ、少し余裕があるように思えたし、奥様に昼食のことについて尋ねると、ランチは何時も不規則なので、別に今のタイミングでとらなくてもよいとおっしゃる。結局、品川駅から電車で国際展示場前にむかうこととした。
駅までの長い道を歩きながら、僕は何故か全く関係のないことを考えていた。それは、もし僕が奥さまのように、日頃からバスやタクシーを利用していたとしたら、そういった交通機関への想いが少し違ったものになっていたかもしれないということだった。「もしそうだったら、奥様は僕が『下北沢の都市計画』について全く違った考え方をしていたと思われますか?」と僕はいった。「う~ん。わからないけれど、あの道は私も全く要らないと思います」と彼女は答えた。
道路は必要か不要か?実はそのとき僕が考えていたのは、そんなこととは全く違う次元のことだった。あれだけ「多種多様」な都市計画が、僕も含めた多くの専門家や一般の人たちによって提案されているのに、世論があまり道路の不要性について盛り上がらないのは一体何故なのだろうということだ。
もし僕が普段からバスやタクシーを使っていたとしたら、きっとそれらの交通機関に対して今よりも愛着をもっていたはずだし、それならば「道路反対」と聞いただけで、そのあとの魅力的なプランが全く目にはいらなくなってしまうかもしれない。もしも、「道路反対」ではなく「バス乗り場はここ!」とか、「タクシーを拾えるスペースはここ!」とかいう言葉や図面で、適確に表現されていたならば、今より多くの人が「ほんとうは道路は不要である」ことに気がつきはじめる気がした。つまり、「道路反対」という言葉があまりにはっきりとした意思表示なので、人はそのあとに続く言葉に全く目がいかなくなっているだけなのではないか?
そのとき、僕が考えたのは、そんなことだった。
しばらく「道路反対」という言葉を封印してみようと、僕は個人的に決心をした。
by kenzo_stsk
| 2009-09-12 23:50
| ■都市計画