2011年 04月 14日
未発表コラム(その2) |
■駅前ロータリー
松永:私は駅前ロータリーが嫌いだ。自由が丘でも渋谷でも、あの「空虚で殺風景な空間」が嫌なのだ。広い空間の中心をバスや車が占め、人は周りを迂回しなければならない。高田馬場のように中央に島が作られていても、駅から島、島から向こう側へと横断歩道を二度渡らなければならず、島は分断され、取り残された場所になる。屋根がないのが致命的で、夏は日差しが照りつけ、冬は寒風が突き抜ける。雨も避けられない。空疎で、人を阻む空間。それがロータリーだ。北沢タウンホールのバス車庫ならいいのだけれど。もしどうしてもロータリーがなければならないというのなら、その上に屋根をかぶせ、二階を人のための木陰ある広場にしてほしい。そこが、ストリート演奏やマンガ朗読や似顔絵描きや自作アクセサリー売りの人たちが自由にやれる場所になるなら、私は足下に隠れたロータリーの殺風景さを忘れることができるかもしれない。
金子:下北沢の駅前にロータリーをつくると便利になるって本当だろうか?広い駅前のほとんどを車が旋回するためにだけに使うわけだから基本的にもったいない話だ。便利になるのは駅前まで車で乗り付けたい人、もしくは電車を下りてすぐ車に乗りたい人だけである。今の下北沢にはそういう人はあまりいないし、もし駅前にロータリーができたら、みんな駅まで車を利用するようになるかといえばそれも大間違いだと思う。家から車に乗ったら、ちまちま駅までなんかいかないで、もっと連絡が便利な場所までダイレクトにいってしまう気がする。駅を利用するのに便利なバス停が必要だというのなら、その場所は今のエグザス前あたりだろう。あそこからなら環七にでるのも、鎌倉通りを通って三軒茶屋にでるのも、人の多い商店街を通らずにいける。そのころには小田急線の踏み切りはないのだ。なにも今のバスルートをそのままにして駅にアクセスしなければいけない理由なんて全然ないと僕は思うのだ。
注:上のコラムはそれぞれが独立した文書として書かれたものであり、会話形式のものではありません。なおコラムの並びは執筆順となっています。
松永:私は駅前ロータリーが嫌いだ。自由が丘でも渋谷でも、あの「空虚で殺風景な空間」が嫌なのだ。広い空間の中心をバスや車が占め、人は周りを迂回しなければならない。高田馬場のように中央に島が作られていても、駅から島、島から向こう側へと横断歩道を二度渡らなければならず、島は分断され、取り残された場所になる。屋根がないのが致命的で、夏は日差しが照りつけ、冬は寒風が突き抜ける。雨も避けられない。空疎で、人を阻む空間。それがロータリーだ。北沢タウンホールのバス車庫ならいいのだけれど。もしどうしてもロータリーがなければならないというのなら、その上に屋根をかぶせ、二階を人のための木陰ある広場にしてほしい。そこが、ストリート演奏やマンガ朗読や似顔絵描きや自作アクセサリー売りの人たちが自由にやれる場所になるなら、私は足下に隠れたロータリーの殺風景さを忘れることができるかもしれない。
金子:下北沢の駅前にロータリーをつくると便利になるって本当だろうか?広い駅前のほとんどを車が旋回するためにだけに使うわけだから基本的にもったいない話だ。便利になるのは駅前まで車で乗り付けたい人、もしくは電車を下りてすぐ車に乗りたい人だけである。今の下北沢にはそういう人はあまりいないし、もし駅前にロータリーができたら、みんな駅まで車を利用するようになるかといえばそれも大間違いだと思う。家から車に乗ったら、ちまちま駅までなんかいかないで、もっと連絡が便利な場所までダイレクトにいってしまう気がする。駅を利用するのに便利なバス停が必要だというのなら、その場所は今のエグザス前あたりだろう。あそこからなら環七にでるのも、鎌倉通りを通って三軒茶屋にでるのも、人の多い商店街を通らずにいける。そのころには小田急線の踏み切りはないのだ。なにも今のバスルートをそのままにして駅にアクセスしなければいけない理由なんて全然ないと僕は思うのだ。
注:上のコラムはそれぞれが独立した文書として書かれたものであり、会話形式のものではありません。なおコラムの並びは執筆順となっています。
by kenzo_stsk
| 2011-04-14 12:51
| ・「路字」