2011年 07月 09日
食品市場で育った建築士「関根純一」さんとの対話 |
昨晩、駅前食品市場で育った類稀なる建築士関根純一さん(以下S)と話をした。直前一本のブログを書いて、それを読んできてもらった上での対話という形式をとりました。
K:いかがでした?
S:うん。そうだなぁ。まずひとつめにいいたいのは、あの建物は「既存不適格」ではないよ。
K:え?
S:既存不適格っていうのはさ、あるときまで「適格」だったものが、法の改正によって「不適格」になっていってしまうものを許すための制度だろ。あれたぶん「適格」だった時代をもってないから。
K:おー
S:他は大体ご推察のとおりかもしれないけど。僕にもわからないことが多いっていうのは、正直なところかな。ただ、僕がものごころついたときには、すでに通路に屋根はかかっていたよ。だから、それ以前の屋根がなかった時代については、想像するしかないよね。( 後日、おかあさまの記憶で越してきたときには確かに道の部分には屋根がなかったことが発覚した)
K:たとえば、床の仕上げが一律ではないですよね。北側から入っていくと、荒い仕上のモルタルだったのが、中では細かいツルッとしたコンクリートブロックに変わっている。あれとかってどういう事情でああなったのでしょう?
S:それはマーケットの中の部会ごとの意思ってことじゃないのかなぁ。一軒で管理されていた場所ではないから、いろいろなことを部会ごとに話し合いできめて資金を供出しあったらしい。「その工事はうちはいい」みたいなこともあったんじゃないかと僕はおもうけど。
K:あそこでの生活についてお聞きします。こどもたちはどうしていたのですか。
S:平気であの場所で遊んでいたなぁ。
K:ここは商売する場所だから、遊んじゃダメとかはなかったんだ。
S:う~ん。でも遊んでたね。
K:外の空き地とかで遊ぶことは?
S:そりゃあったさ。あのころは近所にもいろいろなところに空き地があったからね。
K:えぇ、僕も小田急線の土手のそば、金子ボクシングジムよりちょっとだけ北にあがったところにあった空き地のような鉄棒だけあった公園にはよくいきました。
S:あと、工務店とかが管理している資材置き場みたいな場所であそんでいたよね。
K:あぁ、でっかい土管みたいのがころがっている場所ですね。
S:そうそう。みんないろんな場所で、こどもたちは工夫して遊んでたわけだ。
K:電車を見に行ったりは?
S:したした。
K:実はね。幼稚園時代の友達がすごい「鉄」だったんですね。幼稚園にいる時間以外はほとんど小田急線の踏み切り(現オーゼキ前)脇の三角地帯にいるみたいな。で、こどもだから電車の模型をがたがたさせてはしらせたりするでしょ。そのとき「ガタンガタン~」みたいな単純な音をだすと怒るわけ。「もっとヅーバタンバタン~バタンバタン~」だよ!とかいってね。彼、耳も良くって小田急線が見える前に、「今度通る列車は前4両が青で、そのあと無地のが4両(適当)」とか言えてたもんなぁ。各列車が出す音が微妙にちがうんだってよく言っていました。
S:へー、そこまですごくはなかったよ。でも確かにあそこには必ずこどもがいたよね。
K:なんかこどもが一日電車をみていられるような場所とかつくってあげたいなぁ。
K:ところで、食品市場を壊すのってどう思います?
S:う~ん。残せるなら残したいけど、もう「スラムクリアランス」みたいのも、行政の目的のひとつなんだろ。無理じゃないかなぁ。
K:明大の小林教授とかが、「記憶の保存」とかおっしゃっていますけど、たとえば床の仕上げだけを全部残して、お店のあった場所は芝生敷きにするとか、どう思います。
S:うん。市場の痕跡を構築物としての残すのではなくて、舗装にのこすってアイデアはいいね。
K:でもできれば現物で残したいですよね。
S:それはそうだよ。あと、あの場所は屋根の上にでると楽しんだ。隣の家とか屋根伝いに行ったもんなぁ。
K:では仮に、僕らが駅前広場のデザインを任されたとして、大切にしたいことってなんですか?
S:僕はね。広場の使い方に融通性をもたせるために、車道と歩道に段差とかをつけるような区別をつけない舗装をしてほしいと思っているんだ。あとは出来うる限りバスとタクシーのためのスペースは小さくしてほしいなぁ。週末に青空市場とかが立つ感じが僕は欲しい。マラケッシュみたいにね。
関根さんは、なんか懐かしい目をして昔を思い出しているようにみえた。僕は途中で眠たくなって、うつらうつらと船を漕いだりもしていたけれど、「さ、そろそろ帰ろう!」と僕に声をかけたあと、彼は決してお金を払わしてはくださらなかった。なんか建築学科の先輩にご馳走してもらったような気分でした。
K:いかがでした?
S:うん。そうだなぁ。まずひとつめにいいたいのは、あの建物は「既存不適格」ではないよ。
K:え?
S:既存不適格っていうのはさ、あるときまで「適格」だったものが、法の改正によって「不適格」になっていってしまうものを許すための制度だろ。あれたぶん「適格」だった時代をもってないから。
K:おー
S:他は大体ご推察のとおりかもしれないけど。僕にもわからないことが多いっていうのは、正直なところかな。ただ、僕がものごころついたときには、すでに通路に屋根はかかっていたよ。だから、それ以前の屋根がなかった時代については、想像するしかないよね。( 後日、おかあさまの記憶で越してきたときには確かに道の部分には屋根がなかったことが発覚した)
K:たとえば、床の仕上げが一律ではないですよね。北側から入っていくと、荒い仕上のモルタルだったのが、中では細かいツルッとしたコンクリートブロックに変わっている。あれとかってどういう事情でああなったのでしょう?
S:それはマーケットの中の部会ごとの意思ってことじゃないのかなぁ。一軒で管理されていた場所ではないから、いろいろなことを部会ごとに話し合いできめて資金を供出しあったらしい。「その工事はうちはいい」みたいなこともあったんじゃないかと僕はおもうけど。
K:あそこでの生活についてお聞きします。こどもたちはどうしていたのですか。
S:平気であの場所で遊んでいたなぁ。
K:ここは商売する場所だから、遊んじゃダメとかはなかったんだ。
S:う~ん。でも遊んでたね。
K:外の空き地とかで遊ぶことは?
S:そりゃあったさ。あのころは近所にもいろいろなところに空き地があったからね。
K:えぇ、僕も小田急線の土手のそば、金子ボクシングジムよりちょっとだけ北にあがったところにあった空き地のような鉄棒だけあった公園にはよくいきました。
S:あと、工務店とかが管理している資材置き場みたいな場所であそんでいたよね。
K:あぁ、でっかい土管みたいのがころがっている場所ですね。
S:そうそう。みんないろんな場所で、こどもたちは工夫して遊んでたわけだ。
K:電車を見に行ったりは?
S:したした。
K:実はね。幼稚園時代の友達がすごい「鉄」だったんですね。幼稚園にいる時間以外はほとんど小田急線の踏み切り(現オーゼキ前)脇の三角地帯にいるみたいな。で、こどもだから電車の模型をがたがたさせてはしらせたりするでしょ。そのとき「ガタンガタン~」みたいな単純な音をだすと怒るわけ。「もっとヅーバタンバタン~バタンバタン~」だよ!とかいってね。彼、耳も良くって小田急線が見える前に、「今度通る列車は前4両が青で、そのあと無地のが4両(適当)」とか言えてたもんなぁ。各列車が出す音が微妙にちがうんだってよく言っていました。
S:へー、そこまですごくはなかったよ。でも確かにあそこには必ずこどもがいたよね。
K:なんかこどもが一日電車をみていられるような場所とかつくってあげたいなぁ。
K:ところで、食品市場を壊すのってどう思います?
S:う~ん。残せるなら残したいけど、もう「スラムクリアランス」みたいのも、行政の目的のひとつなんだろ。無理じゃないかなぁ。
K:明大の小林教授とかが、「記憶の保存」とかおっしゃっていますけど、たとえば床の仕上げだけを全部残して、お店のあった場所は芝生敷きにするとか、どう思います。
S:うん。市場の痕跡を構築物としての残すのではなくて、舗装にのこすってアイデアはいいね。
K:でもできれば現物で残したいですよね。
S:それはそうだよ。あと、あの場所は屋根の上にでると楽しんだ。隣の家とか屋根伝いに行ったもんなぁ。
K:では仮に、僕らが駅前広場のデザインを任されたとして、大切にしたいことってなんですか?
S:僕はね。広場の使い方に融通性をもたせるために、車道と歩道に段差とかをつけるような区別をつけない舗装をしてほしいと思っているんだ。あとは出来うる限りバスとタクシーのためのスペースは小さくしてほしいなぁ。週末に青空市場とかが立つ感じが僕は欲しい。マラケッシュみたいにね。
関根さんは、なんか懐かしい目をして昔を思い出しているようにみえた。僕は途中で眠たくなって、うつらうつらと船を漕いだりもしていたけれど、「さ、そろそろ帰ろう!」と僕に声をかけたあと、彼は決してお金を払わしてはくださらなかった。なんか建築学科の先輩にご馳走してもらったような気分でした。
by kenzo_stsk
| 2011-07-09 17:06
| ・下北沢問題