2007年 06月 12日
上原ひろ子さん |
土曜日、前国立市長の上原ひろ子さんと会った。
彼女は今度の参議院選挙に社民党からでることになった。そこで、国会で下北沢問題にも大きな関心を寄せてくださっている保坂展人さんから声がかかって、下北沢問題に関わる関係者と懇談したというのが、ことの経緯。
最初にしばらく喫茶店で下北沢問題の概要をお話し、その後一緒に夕食をとった。なんで国政に挑むことにしたかとか、いろいろ話は聞いたのだけれど、一番面白かった話は、国立市長として「建物の高さを20m以下にする」という景観条例を制定した一日のドキュメンタリーであった。
「いままで官僚として、『こういう決まりだからできません』といっていたルールを、新しい市長が『やってみようよ』の一言ではじめるわけだから、それは抵抗は強いのね。都市計画審議会の構成メンバーも市長に任命権があるので、なるべく利権の絡む議員さんとかは排除して望むわけだけれど、そうなると官僚の息のかかった人たちは審議会を欠席して、会を不成立にしようとします。もちろんその前に、議会を解散させようという声も大きかったのだけれど、そのように争点を明確にして選挙をやり直すことは、議員さんたちはみんな怖がって拒むわけ。それで、そういう戦いになるのだけれど、議長も含めて欠席とかいったときに、どうすれば代理議長をたてられるかとか、どのような手続きを踏んで、何をすれば審議会を成立させられるのかを、私達は徹底的に研究しました。‥」
結局、議事録がとれないと無効ということで、土壇場で急遽会をはじめ、メンバー全員がカセットテープで自身の発言を録音しながら議事録に変えるという離れ技をつかって審議会を成立させて、条例を制定するということになったという。聞くだけでもとてもどきどきするお話でした。
彼女は、「結局政治を良くするためには選挙制度を変えないとだめだと思う」と仰っていました。この前の選挙にまじめに取り組んだ結果、僕も同じ感想を持っていたので、「どこを変えたいですか?」と具体的に聞いてみたら、「選挙に出るのに、仕事も生活もなげうって、出馬しなければならないようでは、なかなか本当に良い人がでてこないと思うの。お金もかかりすぎるしね」とまさに僕が感じたことそのままを仰ったので、意気投合し、『政治家の人と』という意味では、珍しく楽しい懇談ができた。
会食が終盤に差し掛かると、しもへいが突然『号泣』。こんな人が区長候補だったら、どんなに気持ちの良い選挙ができただろうと想像すると涙がとまらなかったようだ。上原さんは「国立だって、条例をかえるまでに20年の市民運動が必要だったのよ。シモキタにもきっと良い人がみつかると思うわ」と励ましてくださった。
心に残る一言でした。(しもへいがそれを聞いてさらに号泣したのはいうまでもない‥)
彼女は今度の参議院選挙に社民党からでることになった。そこで、国会で下北沢問題にも大きな関心を寄せてくださっている保坂展人さんから声がかかって、下北沢問題に関わる関係者と懇談したというのが、ことの経緯。
最初にしばらく喫茶店で下北沢問題の概要をお話し、その後一緒に夕食をとった。なんで国政に挑むことにしたかとか、いろいろ話は聞いたのだけれど、一番面白かった話は、国立市長として「建物の高さを20m以下にする」という景観条例を制定した一日のドキュメンタリーであった。
「いままで官僚として、『こういう決まりだからできません』といっていたルールを、新しい市長が『やってみようよ』の一言ではじめるわけだから、それは抵抗は強いのね。都市計画審議会の構成メンバーも市長に任命権があるので、なるべく利権の絡む議員さんとかは排除して望むわけだけれど、そうなると官僚の息のかかった人たちは審議会を欠席して、会を不成立にしようとします。もちろんその前に、議会を解散させようという声も大きかったのだけれど、そのように争点を明確にして選挙をやり直すことは、議員さんたちはみんな怖がって拒むわけ。それで、そういう戦いになるのだけれど、議長も含めて欠席とかいったときに、どうすれば代理議長をたてられるかとか、どのような手続きを踏んで、何をすれば審議会を成立させられるのかを、私達は徹底的に研究しました。‥」
結局、議事録がとれないと無効ということで、土壇場で急遽会をはじめ、メンバー全員がカセットテープで自身の発言を録音しながら議事録に変えるという離れ技をつかって審議会を成立させて、条例を制定するということになったという。聞くだけでもとてもどきどきするお話でした。
彼女は、「結局政治を良くするためには選挙制度を変えないとだめだと思う」と仰っていました。この前の選挙にまじめに取り組んだ結果、僕も同じ感想を持っていたので、「どこを変えたいですか?」と具体的に聞いてみたら、「選挙に出るのに、仕事も生活もなげうって、出馬しなければならないようでは、なかなか本当に良い人がでてこないと思うの。お金もかかりすぎるしね」とまさに僕が感じたことそのままを仰ったので、意気投合し、『政治家の人と』という意味では、珍しく楽しい懇談ができた。
会食が終盤に差し掛かると、しもへいが突然『号泣』。こんな人が区長候補だったら、どんなに気持ちの良い選挙ができただろうと想像すると涙がとまらなかったようだ。上原さんは「国立だって、条例をかえるまでに20年の市民運動が必要だったのよ。シモキタにもきっと良い人がみつかると思うわ」と励ましてくださった。
心に残る一言でした。(しもへいがそれを聞いてさらに号泣したのはいうまでもない‥)
by kenzo_stsk
| 2007-06-12 10:43
| ■人物