2008年 10月 08日
文化学院 |
神保町から御茶ノ水まで歩いた。
“Save the 下北沢”関連でいつもインターネット環境のサポートを受けている恩師のゴウダくんから、サイトを評価するためのモニターをやって欲しいと頼まれ、午前中から神保町に行く。
1時間程度の作業を終えて、一緒にランチ&カフェ。帰りは茗荷谷に寄りたい事情があったため、御茶ノ水まで歩いた。おりしもそぼ降る雨が傘をぬらす。御茶ノ水は静かな町だ。こんな場所を歩くと自然と頭に「文化」という文字が浮かんでくるのは当然だろう。坂を上りきると目の前にすごく魅力的な佇まいの建物があった。
「文化学院」という名前の建物らしいということだけ記憶して、写真を何枚か撮った。
街路に面する大きなアーチが人を惹きつけ、アーチの中から覗く大樹の緑がなんとも美しい。家に帰って調べると1937年に竣工した建物で、最近取り壊しのプロジェクトが持ち上がったが、卒業生などの多くの保存運動が功を奏し、玄関アーチを残すという道が選択されたようだ。
昔の写真などを見てみると、今の状態は以前の建物よりも更に魅力を増しているように感じた。
会の粘り強い保存への熱意と良い仕事をした建築士に拍手を送りたい。
“Save the 下北沢”関連でいつもインターネット環境のサポートを受けている恩師のゴウダくんから、サイトを評価するためのモニターをやって欲しいと頼まれ、午前中から神保町に行く。
1時間程度の作業を終えて、一緒にランチ&カフェ。帰りは茗荷谷に寄りたい事情があったため、御茶ノ水まで歩いた。おりしもそぼ降る雨が傘をぬらす。御茶ノ水は静かな町だ。こんな場所を歩くと自然と頭に「文化」という文字が浮かんでくるのは当然だろう。坂を上りきると目の前にすごく魅力的な佇まいの建物があった。
「文化学院」という名前の建物らしいということだけ記憶して、写真を何枚か撮った。
街路に面する大きなアーチが人を惹きつけ、アーチの中から覗く大樹の緑がなんとも美しい。家に帰って調べると1937年に竣工した建物で、最近取り壊しのプロジェクトが持ち上がったが、卒業生などの多くの保存運動が功を奏し、玄関アーチを残すという道が選択されたようだ。
昔の写真などを見てみると、今の状態は以前の建物よりも更に魅力を増しているように感じた。
会の粘り強い保存への熱意と良い仕事をした建築士に拍手を送りたい。
by kenzo_stsk
| 2008-10-08 23:46
| ■文化