2009年 09月 06日
子供神輿 |
お祭りなので、子供神輿について歩く。

今年、長女はお神輿、次女は山車のデビューとなった(まだ足元がおぼつかない次女はほんの20~30分歩いてくれたかな?という程度だったけれど)。以前は隙あらばなんとか自分がお神輿を担ぎたいと考えていたのだけれど、こどもが二人になってからはすっかりあきらめました。
初めて子供神輿を担いだのはいったいいつの頃だったのだろう。とにかく記憶にあるのは、草野球チームの面々と担ぎながら、好きな女の子の話とかをしていた頃だったから、たぶん小学校の4~5年くらいだったのだろう、ノブと呼ばれていた男の子がやけにあっさりと好きな女の子のことを話すのを聞いて、「はっきり言ってしまうのは、清々していていいなぁ」と思ったことが、変に記憶に残っている。
お神輿のルートは年々変わる。お茶やお菓子などの「振る舞い」をしてくださる方がかわれば、それにつられてかわるし、事情はいろいろだ。今回は北沢2~4丁目を練り歩く感じだったけれど、僕が子供の頃はもっと西より、羽根木公園に近い方のルートだった。子供の頃はそんな事情も知らず、お礼のご挨拶はしていたのだろうから、なんとなく「この人がご馳走してくれたのだな」ということは察していたのだけれど、どこでお振る舞いを受けたとかは、すっかり忘れてしまった。近所の大きなお屋敷の庭に、神輿ごとはいって練り歩いた記憶とかは、やけに鮮明にあるけれど、それは特殊な例である。不義理なものだ。
子供神輿をみていて、ふと、「これ軽そうだな?」ということに気がついた。参加している子供たちは、小学校の低学年が主流と、以前よりずいぶん小さなメンバーにかわっているのに、やけに軽そうに担いでいたからだ。以前の神輿は上級生が大勢でふうふう言いながら担いでしたし、担ぐ棒にタオルを巻かないと、次の日肩が腫れてしまうくらいに重かったからだ。「子供神輿ってかわりました?」と尋ねてみたら、近所のお母様が、「数年前に焼失したから、そのときに変えたはずだ」ということだった。子供も少なくなって、阿波踊りとかも参加者を募るのが大変な時期があったということだから、たぶんそんな機会に軽くしたのかもしれない。
沢山の子供たちが元気にしている町でありたいと思う。

今年、長女はお神輿、次女は山車のデビューとなった(まだ足元がおぼつかない次女はほんの20~30分歩いてくれたかな?という程度だったけれど)。以前は隙あらばなんとか自分がお神輿を担ぎたいと考えていたのだけれど、こどもが二人になってからはすっかりあきらめました。
初めて子供神輿を担いだのはいったいいつの頃だったのだろう。とにかく記憶にあるのは、草野球チームの面々と担ぎながら、好きな女の子の話とかをしていた頃だったから、たぶん小学校の4~5年くらいだったのだろう、ノブと呼ばれていた男の子がやけにあっさりと好きな女の子のことを話すのを聞いて、「はっきり言ってしまうのは、清々していていいなぁ」と思ったことが、変に記憶に残っている。
お神輿のルートは年々変わる。お茶やお菓子などの「振る舞い」をしてくださる方がかわれば、それにつられてかわるし、事情はいろいろだ。今回は北沢2~4丁目を練り歩く感じだったけれど、僕が子供の頃はもっと西より、羽根木公園に近い方のルートだった。子供の頃はそんな事情も知らず、お礼のご挨拶はしていたのだろうから、なんとなく「この人がご馳走してくれたのだな」ということは察していたのだけれど、どこでお振る舞いを受けたとかは、すっかり忘れてしまった。近所の大きなお屋敷の庭に、神輿ごとはいって練り歩いた記憶とかは、やけに鮮明にあるけれど、それは特殊な例である。不義理なものだ。
子供神輿をみていて、ふと、「これ軽そうだな?」ということに気がついた。参加している子供たちは、小学校の低学年が主流と、以前よりずいぶん小さなメンバーにかわっているのに、やけに軽そうに担いでいたからだ。以前の神輿は上級生が大勢でふうふう言いながら担いでしたし、担ぐ棒にタオルを巻かないと、次の日肩が腫れてしまうくらいに重かったからだ。「子供神輿ってかわりました?」と尋ねてみたら、近所のお母様が、「数年前に焼失したから、そのときに変えたはずだ」ということだった。子供も少なくなって、阿波踊りとかも参加者を募るのが大変な時期があったということだから、たぶんそんな機会に軽くしたのかもしれない。
沢山の子供たちが元気にしている町でありたいと思う。
by kenzo_stsk
| 2009-09-06 03:02
| ■文化

