2009年 10月 15日
KOMPAL |
Bar KOMPAL に飲みにいった。
“Bar KOMPAL” は今年で50年になる下北沢の老舗バー。先日のシモキタヴォイスというイベントに店主の一人として紹介された藤原さんが、やはりバーである“Mother”の山崎さんと一緒にLADY JANEにいらしていた時にばったり遭遇し、紹介された(そう、それは確かヴォイスの翌日のこと)。
下北沢で僕が生まれる前からやっているバーってどんなところなのだろうという興味と、「路字」をとても大切そうに持ち帰ってくださったのがすごくうれしかったこともあって、やっとお店にいってみた。お店に行くと、最初はちょっと僕のことをわからなかったみたいでしたが、少しお話するとすぐに思い出してくださって、「路字」の感想などもいただいた。丁寧に読んでくださったみたいだったのが、とてもうれしかった。「少し多めにいただいたのも、お店でお客様に配らせていただきました」ということで、今回の号をとても楽しんでくださったようであった。
暗い店内に目が慣れてくると、店はとても上品なつくりをしていた。外からはその気配が全く感じられないちょっと怖い(高級そうという意味)感じの店なのだけれど、店の中からはミラーガラスで店の前の路地が良く見える。店の壁は木目の合板に黒の染色。いかにも「バー」という雰囲気のお店になっていた。先代のオーナーはその昔、銀座でバーをやっていたのを「下北沢で」と移っていらしたということだから、そういわれるとなるほどと思える店のつくりである。
つぎつぎとお店に来る方はどなたも常連さんのようで、マダムから紹介されるとすごく興味深そうに下北沢の問題について議論がはじまる。僕もいろいろなお店に飲みにいくようになったけれど、こんな風にお店の方々と下北沢問題について話をしたのは、多分はじめてのことであった。基本“飲み屋”という場所はむずかしくない楽しい話をするところであって、運動の話とかはすごく嫌われる傾向にある。そんな思い込みがあったので、地元に根付いた店で夜こんな風な話が展開するとは思ってもいなかったし、また地元の方々がこの問題をとても詳しい部分まで知り、また独自の感想までしっかり持っているのを聞いて、とても心強くもあった。
やはりきちんと地元の人同士話をして、明るい町の未来を考えることは大切なのではないだろうかと自然と思えた夜であった。こんな場所も下北沢にはあるのだ。こういう襞の深さを人は文化と呼ぶのかもしれない。
“Bar KOMPAL” は今年で50年になる下北沢の老舗バー。先日のシモキタヴォイスというイベントに店主の一人として紹介された藤原さんが、やはりバーである“Mother”の山崎さんと一緒にLADY JANEにいらしていた時にばったり遭遇し、紹介された(そう、それは確かヴォイスの翌日のこと)。
下北沢で僕が生まれる前からやっているバーってどんなところなのだろうという興味と、「路字」をとても大切そうに持ち帰ってくださったのがすごくうれしかったこともあって、やっとお店にいってみた。お店に行くと、最初はちょっと僕のことをわからなかったみたいでしたが、少しお話するとすぐに思い出してくださって、「路字」の感想などもいただいた。丁寧に読んでくださったみたいだったのが、とてもうれしかった。「少し多めにいただいたのも、お店でお客様に配らせていただきました」ということで、今回の号をとても楽しんでくださったようであった。
暗い店内に目が慣れてくると、店はとても上品なつくりをしていた。外からはその気配が全く感じられないちょっと怖い(高級そうという意味)感じの店なのだけれど、店の中からはミラーガラスで店の前の路地が良く見える。店の壁は木目の合板に黒の染色。いかにも「バー」という雰囲気のお店になっていた。先代のオーナーはその昔、銀座でバーをやっていたのを「下北沢で」と移っていらしたということだから、そういわれるとなるほどと思える店のつくりである。
つぎつぎとお店に来る方はどなたも常連さんのようで、マダムから紹介されるとすごく興味深そうに下北沢の問題について議論がはじまる。僕もいろいろなお店に飲みにいくようになったけれど、こんな風にお店の方々と下北沢問題について話をしたのは、多分はじめてのことであった。基本“飲み屋”という場所はむずかしくない楽しい話をするところであって、運動の話とかはすごく嫌われる傾向にある。そんな思い込みがあったので、地元に根付いた店で夜こんな風な話が展開するとは思ってもいなかったし、また地元の方々がこの問題をとても詳しい部分まで知り、また独自の感想までしっかり持っているのを聞いて、とても心強くもあった。
やはりきちんと地元の人同士話をして、明るい町の未来を考えることは大切なのではないだろうかと自然と思えた夜であった。こんな場所も下北沢にはあるのだ。こういう襞の深さを人は文化と呼ぶのかもしれない。
by kenzo_stsk
| 2009-10-15 18:26