2010年 02月 18日
坂道がおしえてくれたこと(その5) |
一時は大したことのない症状で救急車を呼んでしまったのではないかと、かなりへこんだ僕でしたが、考え直してみれば、怪我ひとつせずに家に帰り着いたのはかなり運の良いことだったのだと思います。
あの激痛の中で自転車を上体だけでコントロールできたのも幸いでしたし、下りた場所の脇にしっかりとした土留めがあったことも身体を支える上で有効でした(あの坂道は切通しなんでしょう)。スピードに乗った車がすぐ後を走っているという状況も全くありえないことではなかったということを思うと、やはり背筋が寒くなるような「ヒヤッとしたこと」だったのだろうと思ったりもします。とにかくここは一時の恥ずかしさなどに身を焼かれるのはなく、素直に無事を喜ぶべきなのだろうとしばらくして僕は思いなおしたわけです。
ただ、ひとつだけ気になることが僕には残されていました。それは「何故あの道を僕は選んだのか?」ということです。つまり、最近は坂を回避する東側の緑道コースを選ぶことも多いことを考えれば、あの無意識の「坂の」選択はなんだったのだろうということが気にかかっていました。そしてふと思い出したのは、ミーティングを終えて工務店を出るとき、「金子さん、あと一息ですよ。がんばって!」と声をかけられたこと。ちょうど昼過ぎの陽射しがさして、一時寒さが緩み、身体がぽかぽかしかけていたことなどを僕は鮮明に思い出していました。つまりあの時、僕は身も、心も、少しだけ温かくなって「気合がはいり」、積極的に身体が坂を求めたのではないのか?ということでした。
僕は割合柔軟な方(ひとつの考えに固執しないという意味で)だと思っています。ですから、何歳になっても、人間は「自分が変わろうとすれば変われる」と信じているし、「もう歳だから変われない」といった時点で負けだと思うわけです。ですが、無意識の領域でおこなわれる自分の性みたいなものを変えるのは難しいというのもまた事実だと思います。つまり「坂に挑んでいく性」はなかなか変えられないだろうと考えるわけです。
もし、性は変えられないということならば、今回のような事故をさける対処法はふたつあるように思います。
それは、1.もう歳なのだと自覚して、無理をしないようにすること、そして、2.ある程度の無理に耐えられるように、身体と心を鍛えなおすこと、のふたつではないかと僕は思ったのでした。
そして事故のダメージが消えた数日後、僕は朝、再び走り始めることを決めました。(つづく)
あの激痛の中で自転車を上体だけでコントロールできたのも幸いでしたし、下りた場所の脇にしっかりとした土留めがあったことも身体を支える上で有効でした(あの坂道は切通しなんでしょう)。スピードに乗った車がすぐ後を走っているという状況も全くありえないことではなかったということを思うと、やはり背筋が寒くなるような「ヒヤッとしたこと」だったのだろうと思ったりもします。とにかくここは一時の恥ずかしさなどに身を焼かれるのはなく、素直に無事を喜ぶべきなのだろうとしばらくして僕は思いなおしたわけです。
ただ、ひとつだけ気になることが僕には残されていました。それは「何故あの道を僕は選んだのか?」ということです。つまり、最近は坂を回避する東側の緑道コースを選ぶことも多いことを考えれば、あの無意識の「坂の」選択はなんだったのだろうということが気にかかっていました。そしてふと思い出したのは、ミーティングを終えて工務店を出るとき、「金子さん、あと一息ですよ。がんばって!」と声をかけられたこと。ちょうど昼過ぎの陽射しがさして、一時寒さが緩み、身体がぽかぽかしかけていたことなどを僕は鮮明に思い出していました。つまりあの時、僕は身も、心も、少しだけ温かくなって「気合がはいり」、積極的に身体が坂を求めたのではないのか?ということでした。
僕は割合柔軟な方(ひとつの考えに固執しないという意味で)だと思っています。ですから、何歳になっても、人間は「自分が変わろうとすれば変われる」と信じているし、「もう歳だから変われない」といった時点で負けだと思うわけです。ですが、無意識の領域でおこなわれる自分の性みたいなものを変えるのは難しいというのもまた事実だと思います。つまり「坂に挑んでいく性」はなかなか変えられないだろうと考えるわけです。
もし、性は変えられないということならば、今回のような事故をさける対処法はふたつあるように思います。
それは、1.もう歳なのだと自覚して、無理をしないようにすること、そして、2.ある程度の無理に耐えられるように、身体と心を鍛えなおすこと、のふたつではないかと僕は思ったのでした。
そして事故のダメージが消えた数日後、僕は朝、再び走り始めることを決めました。(つづく)
by kenzo_stsk
| 2010-02-18 02:37
| ■生活