2010年 05月 17日
住むことの原形 |
昨日、娘ふたりを連れて「三宿の森公園」にいった。
連日の不眠症がたたり、すごく寝不足だったのだけれど、「公園で日なたぼっこでもしながら寝るか」と甘いことを考えて、ふたりを連れて公園にいった。長女7歳はいまや、しっかりと次女2歳半の面倒みれる、しっかりとしたおねーちゃんになっているわけだし。
日当の午前中がどんなに暑苦しいかは別にして、次女を部下にしてすっかり遊びを牛耳る長女は、ふたりでストーンヘンジのような場所で、水汲み&石洗いの行事をはじめた。
そろそろ12時も近づいてきた頃に、「そろそろ帰りの準備をしてね」と指示をだしたら、長女いわく「じゃあ、普通の生活を少しだけして帰ろうか」という。「普通の生活ってなんだろう?」と思ったら、それは平たい大きな石の上で食事をし、となりの平らな石の上でふたり横になって寝ることであった。で、それまでふたりが子供用縄跳びの手持ちの部分をとってそれに水を汲み、おこなっていた「石洗いの行事」がおこなわれていた場所は、こんな感じ
つまりここが祈りの場所。
生活の場所と祈りの場所は、わりあい近くに発生するものだと知った。
こどもと遊ぶのって素敵だ。
連日の不眠症がたたり、すごく寝不足だったのだけれど、「公園で日なたぼっこでもしながら寝るか」と甘いことを考えて、ふたりを連れて公園にいった。長女7歳はいまや、しっかりと次女2歳半の面倒みれる、しっかりとしたおねーちゃんになっているわけだし。
日当の午前中がどんなに暑苦しいかは別にして、次女を部下にしてすっかり遊びを牛耳る長女は、ふたりでストーンヘンジのような場所で、水汲み&石洗いの行事をはじめた。
そろそろ12時も近づいてきた頃に、「そろそろ帰りの準備をしてね」と指示をだしたら、長女いわく「じゃあ、普通の生活を少しだけして帰ろうか」という。「普通の生活ってなんだろう?」と思ったら、それは平たい大きな石の上で食事をし、となりの平らな石の上でふたり横になって寝ることであった。で、それまでふたりが子供用縄跳びの手持ちの部分をとってそれに水を汲み、おこなっていた「石洗いの行事」がおこなわれていた場所は、こんな感じ
つまりここが祈りの場所。
生活の場所と祈りの場所は、わりあい近くに発生するものだと知った。
こどもと遊ぶのって素敵だ。
by kenzo_stsk
| 2010-05-17 01:48
| ■文化