2005年 10月 14日
学問としての「まちづくり」 |
昨晩、明治学院大学で服部圭郎先生の授業にゲストとして参加してきた。
服部先生の後期の「まちづくりの現場に参加する授業」として下北沢が選ばれたからである。先生には6月の交流会で「都市の魅力を喪失させる最も簡単な方法」というタイトルの講演をしていただいた関係もあるが、今回の話は純粋に学生の興味からスタートした話ときいた。
実際、ここのところ下北沢問題を研究対象として取り上げ、取材に来てくれる学生さんは多い。これは下北沢という街の魅力はもちろんだが、私たちの運動が地元に根をはらない一般のシモキタファンを中心に展開し、市民はどのような街を望むか?という一般論の中での議論を試みてきたことが、学生の興味をひいているのではないかと思っている。
「地元愛に根ざしていないまちづくりなど意味がないこと」は十分理解しているつもりだが、地元という言葉が=排他的となった瞬間にそれは「地域エゴ」という言葉にそめられ、≠都市計画にはなりえない運動へと変質してしまう気がしている。意味的には明快な差ではあるが、現場でのこの差はいつも微妙である。
大切なのは多くの街への愛が存在していることを地元民が理解し、それを感謝する心を持ち続けられるかということではないだろうか。クライストチャーチに仕事で滞在していたとき、いろいろお世話になったダグラス氏は滞在中の食事代を決して僕には払わせようとしなかった。「これは俺の街だから、ゲストにははらわせないよ。」と彼はずっと言い続けたのある。家を訪問したときには日本でも良く聞く言葉だが、それを街にまでひろげて言われたのがとても新鮮だった。どこでも、自分の街を愛する人が多い場所は素敵なところに違いないと僕は信じている。
服部先生の後期の「まちづくりの現場に参加する授業」として下北沢が選ばれたからである。先生には6月の交流会で「都市の魅力を喪失させる最も簡単な方法」というタイトルの講演をしていただいた関係もあるが、今回の話は純粋に学生の興味からスタートした話ときいた。
実際、ここのところ下北沢問題を研究対象として取り上げ、取材に来てくれる学生さんは多い。これは下北沢という街の魅力はもちろんだが、私たちの運動が地元に根をはらない一般のシモキタファンを中心に展開し、市民はどのような街を望むか?という一般論の中での議論を試みてきたことが、学生の興味をひいているのではないかと思っている。
「地元愛に根ざしていないまちづくりなど意味がないこと」は十分理解しているつもりだが、地元という言葉が=排他的となった瞬間にそれは「地域エゴ」という言葉にそめられ、≠都市計画にはなりえない運動へと変質してしまう気がしている。意味的には明快な差ではあるが、現場でのこの差はいつも微妙である。
大切なのは多くの街への愛が存在していることを地元民が理解し、それを感謝する心を持ち続けられるかということではないだろうか。クライストチャーチに仕事で滞在していたとき、いろいろお世話になったダグラス氏は滞在中の食事代を決して僕には払わせようとしなかった。「これは俺の街だから、ゲストにははらわせないよ。」と彼はずっと言い続けたのある。家を訪問したときには日本でも良く聞く言葉だが、それを街にまでひろげて言われたのがとても新鮮だった。どこでも、自分の街を愛する人が多い場所は素敵なところに違いないと僕は信じている。
by kenzo_stsk
| 2005-10-14 12:46
| ■都市計画