2011年 04月 18日
未発表コラム(その5) |
■下北沢の地形
松永:私は奈良盆地出身だ。だから周囲が山で囲まれていないだだっ広いところだと不安になる。たぶん無人島や大平原のど真ん中には住めない。でも下北沢は好きだ。丘があって沢・谷があって、また丘がある。代田の丘、代沢の丘、間を流れる沢。南の北沢川までの間、起伏が楽しめる。駅前にも北口から西口方向(無印良品の前)へ登る急坂があり、南口から伸びる道はみななだらかな下り道になっている。これは地理風水的にもなかなかよい地形だ。代田の丘からは東京タワーや六本木ヒルズ、渋谷のセルリアンタワーが見える道がある(「路地」の最初のころの号で「タワ見坂」と命名された)。その坂を下ったところ、古本屋さんの角の十字路に時々茶色いネコがいて、なでさせてくれることがある。しかも、そこで黒猫のぬいぐるみを拾ったことがあった。私は勝手に(ネコとの)「出会いの辻」と呼んでいる。そういえば『猫町』を書いた萩原朔太郎もこのあたりに住んでいた。辻のあたりでネコに会ったら声を掛けてみるといい。
金子:僕が下北沢の地形の中で一番注目しているのは、「昔、川だった場所」の記憶だ。それは北沢中学からの路地として、今もたどっていくことが出来る。そこはかつて僕が子供の頃までは、まだ蓋をされる前のどぶ川として存在していた場所であり、2間くらいの間隔でコンクリートのツッパリが在り、底の両脇には60センチ程度の歩ける場所が存在していた。僕らはその緩やかなドブの流れの中に笹船を流しては次の確認地点まで走って、笹舟が元気良く流れていくのをみたりしていた。やがて流れは小田急線の下をパスして、下北沢の東縁を通り、北沢川まで通じていたのだ。あるときその流れの脇に「ザ・スズナリ」と呼ばれる劇場が出来た。まるで、30年くらいも前からそこにあるかのように、そこに突然「老舗」のような顔をしてその劇場は現れたのだ。そして下北沢に演劇文化は驚くほど早く浸透して行った。僕はそれが川の流れのせいだと信じている。そして今まさにその場所から、下北沢に道路が入ってこようとしているのであります。
注:上のコラムはそれぞれが独立した文書として書かれたものであり、会話形式のものではありません。なおコラムの並びは執筆順となっています。
松永:私は奈良盆地出身だ。だから周囲が山で囲まれていないだだっ広いところだと不安になる。たぶん無人島や大平原のど真ん中には住めない。でも下北沢は好きだ。丘があって沢・谷があって、また丘がある。代田の丘、代沢の丘、間を流れる沢。南の北沢川までの間、起伏が楽しめる。駅前にも北口から西口方向(無印良品の前)へ登る急坂があり、南口から伸びる道はみななだらかな下り道になっている。これは地理風水的にもなかなかよい地形だ。代田の丘からは東京タワーや六本木ヒルズ、渋谷のセルリアンタワーが見える道がある(「路地」の最初のころの号で「タワ見坂」と命名された)。その坂を下ったところ、古本屋さんの角の十字路に時々茶色いネコがいて、なでさせてくれることがある。しかも、そこで黒猫のぬいぐるみを拾ったことがあった。私は勝手に(ネコとの)「出会いの辻」と呼んでいる。そういえば『猫町』を書いた萩原朔太郎もこのあたりに住んでいた。辻のあたりでネコに会ったら声を掛けてみるといい。
金子:僕が下北沢の地形の中で一番注目しているのは、「昔、川だった場所」の記憶だ。それは北沢中学からの路地として、今もたどっていくことが出来る。そこはかつて僕が子供の頃までは、まだ蓋をされる前のどぶ川として存在していた場所であり、2間くらいの間隔でコンクリートのツッパリが在り、底の両脇には60センチ程度の歩ける場所が存在していた。僕らはその緩やかなドブの流れの中に笹船を流しては次の確認地点まで走って、笹舟が元気良く流れていくのをみたりしていた。やがて流れは小田急線の下をパスして、下北沢の東縁を通り、北沢川まで通じていたのだ。あるときその流れの脇に「ザ・スズナリ」と呼ばれる劇場が出来た。まるで、30年くらいも前からそこにあるかのように、そこに突然「老舗」のような顔をしてその劇場は現れたのだ。そして下北沢に演劇文化は驚くほど早く浸透して行った。僕はそれが川の流れのせいだと信じている。そして今まさにその場所から、下北沢に道路が入ってこようとしているのであります。
注:上のコラムはそれぞれが独立した文書として書かれたものであり、会話形式のものではありません。なおコラムの並びは執筆順となっています。
by kenzo_stsk
| 2011-04-18 10:21
| ・「路字」