2016年 02月 06日
校歌 |
この春、下北沢近辺に新しい小学校が生まれる。

このブログでも何度か報告してきたことだが、我が母校である 東大原小学校 は今年度をもって閉校し、お隣の 守山小学校 と統合され、「下北沢小学校」として生まれ変わることとなった。当初はこれに 北沢小学校 も加わっての三校同時統合が示されていたが、今後2年間の新校舎新築工事期間中、北沢小の低学年生徒にとってはかなり遠方となる守山小まで通学させることはかなりの負担を強いることになることを回避するため、北沢小の合流については今回は見合わせ、10年程度の継続検討となった。もちろん新校舎完成の2年後の統合という可能性もまだあるわけだが、地元東北沢では積極的に小規模校の価値を評価する声もあり、継続検討事項となったわけである。
さて、開校式も間近に迫った昨今、新設校の校歌が発表され、承認されたらしい。僕はまだその歌を実際に聴いたことはないのだけれど、歌詞を読んだときかなり驚かされたので、ここに記録しておく。
下北沢小学校 校歌

このブログでも何度か報告してきたことだが、我が母校である 東大原小学校 は今年度をもって閉校し、お隣の 守山小学校 と統合され、「下北沢小学校」として生まれ変わることとなった。当初はこれに 北沢小学校 も加わっての三校同時統合が示されていたが、今後2年間の新校舎新築工事期間中、北沢小の低学年生徒にとってはかなり遠方となる守山小まで通学させることはかなりの負担を強いることになることを回避するため、北沢小の合流については今回は見合わせ、10年程度の継続検討となった。もちろん新校舎完成の2年後の統合という可能性もまだあるわけだが、地元東北沢では積極的に小規模校の価値を評価する声もあり、継続検討事項となったわけである。
さて、開校式も間近に迫った昨今、新設校の校歌が発表され、承認されたらしい。僕はまだその歌を実際に聴いたことはないのだけれど、歌詞を読んだときかなり驚かされたので、ここに記録しておく。
下北沢小学校 校歌
作詞 村田 さち子 作曲 池辺晋一郎
なぜだろう
校門 前にするだけで
わくわくしてくる
みんなと いっしょにいるだけで
わくわくが とまらない
だいすきだよ 下北沢小学校
ありがとう ともだち いっぱい
ありがとう 元気を いっぱい
ありがとう
なぜだろう
同じ 校歌うたうだけで
心がつながる
どんなに 知らないどうしでも
心がつながる
だいすきだよ 下北沢小学校
ありがとう おもいで いっぱい
ありがとう 夢を いっぱい
ありがとう
ありがとう 夢をいっぱい
ありがとう
(以上、歌詞全文)
みなさん、上の歌詞を読まれてどう思われただろうか。
もちろん曲とあわせて実際の歌を聴いてみる前に印象について語ることはナンセンスかとも思うが、僕はこの歌詞を読んで思わず「なぜ?」と首を傾げてしまった。
一体この違和感は何から来るのだろうかと今、僕はゆっくりと考えている。
なぜだろう
校門 前にするだけで
わくわくしてくる
みんなと いっしょにいるだけで
わくわくが とまらない
だいすきだよ 下北沢小学校
ありがとう ともだち いっぱい
ありがとう 元気を いっぱい
ありがとう
なぜだろう
同じ 校歌うたうだけで
心がつながる
どんなに 知らないどうしでも
心がつながる
だいすきだよ 下北沢小学校
ありがとう おもいで いっぱい
ありがとう 夢を いっぱい
ありがとう
ありがとう 夢をいっぱい
ありがとう
(以上、歌詞全文)
みなさん、上の歌詞を読まれてどう思われただろうか。
もちろん曲とあわせて実際の歌を聴いてみる前に印象について語ることはナンセンスかとも思うが、僕はこの歌詞を読んで思わず「なぜ?」と首を傾げてしまった。
一体この違和感は何から来るのだろうかと今、僕はゆっくりと考えている。
by kenzo_stsk
| 2016-02-06 17:59
| ・小学校統廃合
|
Comments(5)

北沢小学校の学区内に住んでいる親です。まだ子供は幼児ですが、今後の統廃合はどうなるのか調べていてこのブログにたどりつき、しばしば拝見させて頂いています。色々と情報提供をありがとうございます。
この歌詞、私もどうも違和感があります。私の違和感の出どころは、何への「感謝」なのかがわからないというのが一番でしょうか。新設校だからなおさら・・・
「だいすき」というのも、愛情の押し買いというんでしょうか、校歌として半ば義務的に唱えさせるものに適した文言ではないような気がします。
地域の風土や、成長の理想などを織り込むという、校歌の基本がまったく欠けているというのも、疑問に思うところです。
この歌詞、私もどうも違和感があります。私の違和感の出どころは、何への「感謝」なのかがわからないというのが一番でしょうか。新設校だからなおさら・・・
「だいすき」というのも、愛情の押し買いというんでしょうか、校歌として半ば義務的に唱えさせるものに適した文言ではないような気がします。
地域の風土や、成長の理想などを織り込むという、校歌の基本がまったく欠けているというのも、疑問に思うところです。
メッセージをありがとうございました。
なんかもやもやした気持ちを見事に言葉にしていただけたような気がしました。「何への感謝なのかがわからない」というのはまさにという感じです。結局「ありがとう」とか「だいすき」というのは人の一時の感情なので、そういった部分に頼りすぎ、普遍的なものが何も織り込まれていないということが校歌にして違和感をもたれる理由なのだろうと考えています
なんかもやもやした気持ちを見事に言葉にしていただけたような気がしました。「何への感謝なのかがわからない」というのはまさにという感じです。結局「ありがとう」とか「だいすき」というのは人の一時の感情なので、そういった部分に頼りすぎ、普遍的なものが何も織り込まれていないということが校歌にして違和感をもたれる理由なのだろうと考えています

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。

はじめて下北沢小の校歌の歌詞を知りました。これを小1から小6の多感な子供に校歌として折に触れて歌わせるのですか。格調高さなど皆無ですね、幼稚園ならまだしも、、。現在の北沢小の校歌は多摩・富士・武蔵野など郷土を活かしつつ子供の健やかな成長を願うもので、子供に感謝を強要するような歌詞ではありません。世田谷区のインターネット広報で30年4月の統合で決定、っと出ましたが無念です。東北沢地区の高齢化が止まりませんね。
最近PTA主催の開校イベントがありました。ま、こどもたちと簡単な楽器作りあそびなどをやったあとでみんなで音楽を聴いたり歌ったりするイベントだったのですが、その際この校歌をリズムやアクセントをかえながらいろいろな調子で演奏して、もらったということがありました。で、基本「童謡」みたいな印象しかないのも歌詞に首を傾げざるをえない部分は全く払拭されたわけではないのですが、メロディが単純なのは楽しくていいなぁということは素直にそう思えました。しばらくいろいろなバージョンで聴きなれてみると意外に印象はかわってくれるのかもしれません。しばらく口の中をころがしてなじむか試してみます