2016年 05月 12日
愛と欲望 |
昨晩のこと
「愛と欲望」について深く考えていた。
まあきっかけはこの前の母の日に長女が妻に送ったフレグランスフラワーが青く色づき、仄かな香りを部屋に漂わせていたのがとても幸せだったから。中二にもなって未だ決まったおこづかいももらっていない彼女にとって、これは決して安くない出費だったはずだし、もしかすると誰にも相談せずに買った初めての買い物だったのではと思うのだ。僕はふたりの娘が好きだ(もちろん妻もだが)。家族への愛情を比較することは嫌いなので、誰のことが一番好きだとかは考えないが、こども達への愛を思うとき、結婚してこどもを授かることがなかったら、もしや自分は愛というものを知らずに死んだのかもしれないと思ったわけである(親ばかでゴメン)。
愛とは(別に辞書を引いたわけではないから独自の解釈になるが)、「広く万物に対する慈しみの心」なのではと思う。対して欲望とは「自己が満たしたいと願う希望」のこと(こちらも自己解釈)。つまりこのふたつは本来、万物(主に他者)と自己という真逆のベクトルをもっているため全く別のものと考えがちだが、『自己愛』ともいうように、愛のベクトルが逆に向いたとき、とても似通ったものとなることがある。だから世間一般では、どちらが尊い感情と思うかと、愛と欲望を比較した場合、大抵は愛に軍配があがるものだが、時として現実の世界ではこのふたつは分かちがたく似ていて区別できないこともあるのではないか(こう思うのは、私が自己愛が強すぎる欲張りだからかもしれないけれど…)と思う。
欲望が強い人はやっかいものとして避けられたり、嫌われたりすることも多いが、単に(自分に対する)愛情が深いだけだと考えれば別に嫌う必要はないし、本来エネルギーが高い人なのだから、その一部を世のため人のためにも振り分けることさえできたら、とても評価があがるのではないかと思う。
自分もすでに50を超えたのだから、もっと貪欲に他者への愛を高めたいものである。
「愛と欲望」について深く考えていた。
まあきっかけはこの前の母の日に長女が妻に送ったフレグランスフラワーが青く色づき、仄かな香りを部屋に漂わせていたのがとても幸せだったから。中二にもなって未だ決まったおこづかいももらっていない彼女にとって、これは決して安くない出費だったはずだし、もしかすると誰にも相談せずに買った初めての買い物だったのではと思うのだ。僕はふたりの娘が好きだ(もちろん妻もだが)。家族への愛情を比較することは嫌いなので、誰のことが一番好きだとかは考えないが、こども達への愛を思うとき、結婚してこどもを授かることがなかったら、もしや自分は愛というものを知らずに死んだのかもしれないと思ったわけである(親ばかでゴメン)。
愛とは(別に辞書を引いたわけではないから独自の解釈になるが)、「広く万物に対する慈しみの心」なのではと思う。対して欲望とは「自己が満たしたいと願う希望」のこと(こちらも自己解釈)。つまりこのふたつは本来、万物(主に他者)と自己という真逆のベクトルをもっているため全く別のものと考えがちだが、『自己愛』ともいうように、愛のベクトルが逆に向いたとき、とても似通ったものとなることがある。だから世間一般では、どちらが尊い感情と思うかと、愛と欲望を比較した場合、大抵は愛に軍配があがるものだが、時として現実の世界ではこのふたつは分かちがたく似ていて区別できないこともあるのではないか(こう思うのは、私が自己愛が強すぎる欲張りだからかもしれないけれど…)と思う。
欲望が強い人はやっかいものとして避けられたり、嫌われたりすることも多いが、単に(自分に対する)愛情が深いだけだと考えれば別に嫌う必要はないし、本来エネルギーが高い人なのだから、その一部を世のため人のためにも振り分けることさえできたら、とても評価があがるのではないかと思う。
自分もすでに50を超えたのだから、もっと貪欲に他者への愛を高めたいものである。
by kenzo_stsk
| 2016-05-12 12:01
| ■生活