2006年 04月 12日
日本人 |
ギャラリーGekiに絵を観に行った。

今、そこで壺井明さんという画家の個展をやっている。数日前、ウェブサイトの参加登録とともに、「下北沢問題をテーマにした絵を描いたから、チラシなどの配布をやりませんか?」とお誘いを受けたからである。彼の絵は油。一般のキャンパスではなく、ベニヤに書いた大きな絵は、かなりエネルギッシュな色彩で彩られているにも係らず、繊細なタッチのためか決して粗野な印象は与えない。しかし、今回お声掛けいただいた「下北沢問題」に関する一番大きな絵は、テーマの性格からか、画風もエネルギッシュで、他のものとは異彩を放っていた。
絵は中央に竜のようなものを操る男たちが描かれ、画面右の和装の女性を今や襲わんとしている。画面左からは大きなローラーが地面をならしながら進んでくる様が描かれ、それが道路建設を象徴していることが見て取れる。画面は全体に森の中の風景。木々の上には白い小鳥たちが、中央の出来事を見守っている。画面の下方には、たくさんの時計が壊れてちらばり、女性の脇に描かれた、ただ一つの完全をなす時計も今や破壊の憂き目に合おうとしている。そんな絵だ。
僕が最初に気になったのは、小鳥の存在だった。「この小鳥たちは何を象徴しているのですか?」と聞くと、「鳥は、開発に反対する存在、反対するけれども弱き存在として描きました。」とおっしゃる。「なんかね、この問題、誰が悪者なのか、なかなか見えずらいじゃないですか。中央の“獅子舞”は隠れている悪者を象徴しています。」ということだ。なるほど。
「僕はこの問題に関しては実は悪者なんていないんじゃないかって思っています。」つい日頃から思っていたことが口に出た。僕はこのブログで世田谷区長に対して、かなり激しい攻撃をしているように思われる方が多いことと思う。でもどうだろう。彼は政治家である。評判とか、名声とかってかなり気にする人種のはずだ。その方が今回のことでは、あまりにも露骨に悪役を演じすぎている気がするのだ。僕は彼がこの計画をあまりにも露骨に進めるのは、自分の判断や責任ではないって考えているのではないかと疑い始めていた。
日本人は善悪の判断をはっきりとつけることを嫌う傾向がある。日本の社会システムとは善悪の判断をはっきりとつけず、ほどほどのところで折り合いをつけようとするあいまいな日本人が、それでも社会を成立させるために生んだ、「誰の責任でなくてもなんとなく決めたこと」だけで、上手くやっていける社会システムであるように思える。それが今回の問題の根源であるのならば、僕たちが今“Save the 下北沢”を通して戦っているのは、日本の文化ということになるのかもしれない。
そして、彼とはしばらく道路問題と日本人というテーマで話をした。どんなときでもゆっくりと絵をみることは楽しい。
PS:壺井さんの個展は16日(日曜)まで開催中です。お時間のある方は是非、お運びください。(無料)

今、そこで壺井明さんという画家の個展をやっている。数日前、ウェブサイトの参加登録とともに、「下北沢問題をテーマにした絵を描いたから、チラシなどの配布をやりませんか?」とお誘いを受けたからである。彼の絵は油。一般のキャンパスではなく、ベニヤに書いた大きな絵は、かなりエネルギッシュな色彩で彩られているにも係らず、繊細なタッチのためか決して粗野な印象は与えない。しかし、今回お声掛けいただいた「下北沢問題」に関する一番大きな絵は、テーマの性格からか、画風もエネルギッシュで、他のものとは異彩を放っていた。
絵は中央に竜のようなものを操る男たちが描かれ、画面右の和装の女性を今や襲わんとしている。画面左からは大きなローラーが地面をならしながら進んでくる様が描かれ、それが道路建設を象徴していることが見て取れる。画面は全体に森の中の風景。木々の上には白い小鳥たちが、中央の出来事を見守っている。画面の下方には、たくさんの時計が壊れてちらばり、女性の脇に描かれた、ただ一つの完全をなす時計も今や破壊の憂き目に合おうとしている。そんな絵だ。
僕が最初に気になったのは、小鳥の存在だった。「この小鳥たちは何を象徴しているのですか?」と聞くと、「鳥は、開発に反対する存在、反対するけれども弱き存在として描きました。」とおっしゃる。「なんかね、この問題、誰が悪者なのか、なかなか見えずらいじゃないですか。中央の“獅子舞”は隠れている悪者を象徴しています。」ということだ。なるほど。
「僕はこの問題に関しては実は悪者なんていないんじゃないかって思っています。」つい日頃から思っていたことが口に出た。僕はこのブログで世田谷区長に対して、かなり激しい攻撃をしているように思われる方が多いことと思う。でもどうだろう。彼は政治家である。評判とか、名声とかってかなり気にする人種のはずだ。その方が今回のことでは、あまりにも露骨に悪役を演じすぎている気がするのだ。僕は彼がこの計画をあまりにも露骨に進めるのは、自分の判断や責任ではないって考えているのではないかと疑い始めていた。
日本人は善悪の判断をはっきりとつけることを嫌う傾向がある。日本の社会システムとは善悪の判断をはっきりとつけず、ほどほどのところで折り合いをつけようとするあいまいな日本人が、それでも社会を成立させるために生んだ、「誰の責任でなくてもなんとなく決めたこと」だけで、上手くやっていける社会システムであるように思える。それが今回の問題の根源であるのならば、僕たちが今“Save the 下北沢”を通して戦っているのは、日本の文化ということになるのかもしれない。
そして、彼とはしばらく道路問題と日本人というテーマで話をした。どんなときでもゆっくりと絵をみることは楽しい。
PS:壺井さんの個展は16日(日曜)まで開催中です。お時間のある方は是非、お運びください。(無料)
by kenzo_stsk
| 2006-04-12 23:29
| ■文化
|
Comments(1)
絵の作者である壺井明さんから、本文の中で作者の思いに反した部分(小鳥の存在についての記述など)に対するご指摘をいただき、掲載文書を一部訂正させていただきました。
壺井さんには不愉快な思いをさせましたことを、深くお詫びさせていただきます。
壺井さんには不愉快な思いをさせましたことを、深くお詫びさせていただきます。