2007年 03月 27日
FUCK!ROCKIN’ ON JAPAN |
ROCKIN' ON JAPAN 2007年4月号(VOL.313)の「激刊!山崎」に下北沢問題へのメッセージが掲載された。
これは、編集長である山崎洋一郎さんのコラム。
ご本人は下北沢の都市計画に関して全く興味がないことを宣言した上で、街が変わっていくことに反対することは「エゴ」であると切り捨てている。
そしてその後、街が変化していくことは一般的に誰にとっても、悲しいことであり、ロックの歴史は奴隷として迫害された黒人たちの音楽であったブルースから生まれたものであるのだから、本来的に悲しみを含んだ生の音楽であると続く。
さてその後は山崎氏がある雑誌から「昔のロックはもっとよかったのに、なんで最近はつまらないバンドばかりになってしまったのでしょうか」という前提で話を聞かれてうんざりしたという感想と、今日本のロックはオーラや毒などの余計なばかばかしいものがそぎ落とされて、シャープになっていっているのだ。悲しみのロックという意味では急速にリアリティを増しているぞ!という悲しみロック宣言で締めてあった。
一個人である山崎氏が再開発という畑違いの問題に関して、どう考えていようが、それはかまわない。しかしその「エゴ」であるとあっさりきりすてられた運動体がわれわれ"Save the 下北沢"のことを指しているのだとしたら、それはずいぶん乱暴な記述である。僕たちは開発計画の姿や検討プロセスに対して疑義や異論を唱えているのであって、街が変わっていくことをただ悲しんでいるような保存運動をしているわけではないというのが、まず一点。
また、畑違いの批判をあえて、畑違いに返させていただくならば、ロックのオーラや毒などを
余計なものと決めつけ、シンプルな悲しさが良い!と考えるのもまたひとつの価値基準であって、ロックという全体を総括しうる立場の人間が、余計なものとして排除して良いものとは僕には思えなかった。(まあ、これは余計なお世話かな?)
とにかく、下北沢の都市開発問題に関して全くその実態を理解しようともせずに、多くのミュージシャンを含む市民が、運動を起こしていることを「エゴ」と斬り捨てた責任は重い。というか、これに対してなんの反論もしないようでは、今まで僕たちの運動を信じてボランタリーに運動を応援してくれたミュージシャンたちに、私は申し訳が立たない。
この件に関しては、近々平野悠さんに対談の用意があるようだから、そこで徹底的に戦っていただきたいと考えている。
>平野悠さま
若者ミュージシャンに「下北沢のために今立てないで、なにがロックだ!」と喧嘩をうっていたんだから、こういうときには是非、大人の意地をみせてください。昨晩のように「俺、喧嘩はきらいだから。。」とか腰がぬけたことを言ってると“Save the 下北沢”を除名すっからね。
私としては紙面上、またはホームページ上での謝罪などがない場合、ROCKIN'JAPANに対して、デモを仕掛けることを今考えている。(今、忙しいから5月過ぎになるだろうけどね)
だって、そのくらいしなきゃ、曽我部さんとかに会わせる顔ないじゃん。
※それでは、平野悠さん、志田歩さん、大久保青志さん、タクヤさん、など"Save the 下北沢"の音楽ムーヴメントに力を注いでくださったみなさまからのコメントを待ちます。
これは、編集長である山崎洋一郎さんのコラム。
ご本人は下北沢の都市計画に関して全く興味がないことを宣言した上で、街が変わっていくことに反対することは「エゴ」であると切り捨てている。
そしてその後、街が変化していくことは一般的に誰にとっても、悲しいことであり、ロックの歴史は奴隷として迫害された黒人たちの音楽であったブルースから生まれたものであるのだから、本来的に悲しみを含んだ生の音楽であると続く。
さてその後は山崎氏がある雑誌から「昔のロックはもっとよかったのに、なんで最近はつまらないバンドばかりになってしまったのでしょうか」という前提で話を聞かれてうんざりしたという感想と、今日本のロックはオーラや毒などの余計なばかばかしいものがそぎ落とされて、シャープになっていっているのだ。悲しみのロックという意味では急速にリアリティを増しているぞ!という悲しみロック宣言で締めてあった。
一個人である山崎氏が再開発という畑違いの問題に関して、どう考えていようが、それはかまわない。しかしその「エゴ」であるとあっさりきりすてられた運動体がわれわれ"Save the 下北沢"のことを指しているのだとしたら、それはずいぶん乱暴な記述である。僕たちは開発計画の姿や検討プロセスに対して疑義や異論を唱えているのであって、街が変わっていくことをただ悲しんでいるような保存運動をしているわけではないというのが、まず一点。
また、畑違いの批判をあえて、畑違いに返させていただくならば、ロックのオーラや毒などを
余計なものと決めつけ、シンプルな悲しさが良い!と考えるのもまたひとつの価値基準であって、ロックという全体を総括しうる立場の人間が、余計なものとして排除して良いものとは僕には思えなかった。(まあ、これは余計なお世話かな?)
とにかく、下北沢の都市開発問題に関して全くその実態を理解しようともせずに、多くのミュージシャンを含む市民が、運動を起こしていることを「エゴ」と斬り捨てた責任は重い。というか、これに対してなんの反論もしないようでは、今まで僕たちの運動を信じてボランタリーに運動を応援してくれたミュージシャンたちに、私は申し訳が立たない。
この件に関しては、近々平野悠さんに対談の用意があるようだから、そこで徹底的に戦っていただきたいと考えている。
>平野悠さま
若者ミュージシャンに「下北沢のために今立てないで、なにがロックだ!」と喧嘩をうっていたんだから、こういうときには是非、大人の意地をみせてください。昨晩のように「俺、喧嘩はきらいだから。。」とか腰がぬけたことを言ってると“Save the 下北沢”を除名すっからね。
私としては紙面上、またはホームページ上での謝罪などがない場合、ROCKIN'JAPANに対して、デモを仕掛けることを今考えている。(今、忙しいから5月過ぎになるだろうけどね)
だって、そのくらいしなきゃ、曽我部さんとかに会わせる顔ないじゃん。
※それでは、平野悠さん、志田歩さん、大久保青志さん、タクヤさん、など"Save the 下北沢"の音楽ムーヴメントに力を注いでくださったみなさまからのコメントを待ちます。
by kenzo_stsk
| 2007-03-27 00:06
| ■報道

