2007年 08月 17日
運動する意識 |
シンポジウムの2回目は「下北沢で運動を語る」。
運動を外からみる目として、社会学者の鈴木謙介さんを迎え、今までいろいろな角度から下北沢問題にアプローチしてきた、ミュージシャンの曽我部恵一さん、文筆家の仲俣暁生さん、そして、下北沢でロックバーを30年以上営んでいる「Mother」の山崎千鶴子さんがパネラーとして顔をあわせた。司会は下北沢問題に関わる戦う大学生、東京大学社会学専攻の久山めぐみ嬢。
「運動って言葉は少し敷居が高いよね」という議論からはじまり、それぞれどのようにこの問題にかかわってきたかを語った。実は司会の久山さんにとっては、事業認可のあと、この下北沢問題が停滞してしまっているのではないかという大きな不安があり、それをブレイクスルーするためにはどうすれば良いかというのが、裏のテーマとしてあった。「こんだけ豪華なメンバーを集めて、久山さんのお悩み相談をしているだけなんじゃないの?」という仲俣さんの指摘は、そういう意味で、実に的をえた発言であった。久山嬢にはバイトをしていた今は無きカレー屋「るちゃ」のカウンターで、「運動、運動ってえらそうにいうなら、下北沢に住んでなきゃだめだろ!」といわれたのが悔しくて、「じゃあ、住んでやるよ!」と下北沢に引っ越してきたという経験がある。そんなエピソードが紹介されると会場からは同情の声が集まり「くーにゃんを救え!」という声が自然と上がったのであった(こんな結論でいいのか?)
実はこのシンポの前、久山さんが進行の打合せなどで、曽我部さんとミーティングした際、「曽我部さんはなぜ、運動をはじめたのですか?」と質問すると、「え、俺運動なんてしてないっすよ。応援はしてますけどね」といわれて、ちょっとへこんで帰ってきた。「こんな自覚のないことで、シンポ、大丈夫でしょうか?」と相談されたので、「本人に自覚がなかったとしても、彼の出したSound of Shimokitazawaは多くのメッセージを発信しているし、ホームページに掲載されている僕らとの対談などでも、「どんなまちに住みたいか」というような具体的な発言などもしているのだから、何の問題もないんじゃないの?」と僕はいった。
多分曽我部さんにとっての運動とは「代替案を考えたり」、「問題をわかりやすく説明したり」と、単純に「下北沢が好きだ!」という自分の気持ちを表現する以上の行為なのだと思う。しかし、運動という言葉を狭義に定義してしまうことで、こぼれ落ちてしまう多くの行為があるとしたら、それは実際にもったいないことだと思う。「誰もがやれることからやっていけばよい」という結論は実に真っ当なものではなかったか。
追伸:ライブのあと、曽我部さんにはTシャツなどにもどんどんサインをしてくれることで、運動資金調達のご協力をいただきました。ありがとう。(もうこれって立派に活動してるから。。)
運動を外からみる目として、社会学者の鈴木謙介さんを迎え、今までいろいろな角度から下北沢問題にアプローチしてきた、ミュージシャンの曽我部恵一さん、文筆家の仲俣暁生さん、そして、下北沢でロックバーを30年以上営んでいる「Mother」の山崎千鶴子さんがパネラーとして顔をあわせた。司会は下北沢問題に関わる戦う大学生、東京大学社会学専攻の久山めぐみ嬢。
「運動って言葉は少し敷居が高いよね」という議論からはじまり、それぞれどのようにこの問題にかかわってきたかを語った。実は司会の久山さんにとっては、事業認可のあと、この下北沢問題が停滞してしまっているのではないかという大きな不安があり、それをブレイクスルーするためにはどうすれば良いかというのが、裏のテーマとしてあった。「こんだけ豪華なメンバーを集めて、久山さんのお悩み相談をしているだけなんじゃないの?」という仲俣さんの指摘は、そういう意味で、実に的をえた発言であった。久山嬢にはバイトをしていた今は無きカレー屋「るちゃ」のカウンターで、「運動、運動ってえらそうにいうなら、下北沢に住んでなきゃだめだろ!」といわれたのが悔しくて、「じゃあ、住んでやるよ!」と下北沢に引っ越してきたという経験がある。そんなエピソードが紹介されると会場からは同情の声が集まり「くーにゃんを救え!」という声が自然と上がったのであった(こんな結論でいいのか?)
実はこのシンポの前、久山さんが進行の打合せなどで、曽我部さんとミーティングした際、「曽我部さんはなぜ、運動をはじめたのですか?」と質問すると、「え、俺運動なんてしてないっすよ。応援はしてますけどね」といわれて、ちょっとへこんで帰ってきた。「こんな自覚のないことで、シンポ、大丈夫でしょうか?」と相談されたので、「本人に自覚がなかったとしても、彼の出したSound of Shimokitazawaは多くのメッセージを発信しているし、ホームページに掲載されている僕らとの対談などでも、「どんなまちに住みたいか」というような具体的な発言などもしているのだから、何の問題もないんじゃないの?」と僕はいった。
多分曽我部さんにとっての運動とは「代替案を考えたり」、「問題をわかりやすく説明したり」と、単純に「下北沢が好きだ!」という自分の気持ちを表現する以上の行為なのだと思う。しかし、運動という言葉を狭義に定義してしまうことで、こぼれ落ちてしまう多くの行為があるとしたら、それは実際にもったいないことだと思う。「誰もがやれることからやっていけばよい」という結論は実に真っ当なものではなかったか。
追伸:ライブのあと、曽我部さんにはTシャツなどにもどんどんサインをしてくれることで、運動資金調達のご協力をいただきました。ありがとう。(もうこれって立派に活動してるから。。)
by kenzo_stsk
| 2007-08-17 07:04
| ・下北沢問題