2007年 09月 10日
吉田商店会長との会話 |
先月、8/19(日)の午前中、吉田國吉南口商店会会長とお話をした。
8/13~15日におこなわれたシンポジウムの最終日、最終シンポに吉田さんが出席なさったことについては、先月のブログに記述していたので、記憶しておられる方もいることだろうと思う。実は、その直後の日曜日に、僕はスズナリの野田さんと二人、吉田会長と会った。
何故、その件に関して一ヶ月近くも放置していたかというと、単純に気持ちの整理がつかず、どのような形でみなさまに報告するべきなのかを迷う時間が必要だったのと、実際個人的にとてもタイトな時間を過していたということでした。吉田さんとの会話があったことをなんとなく匂わせつつ、なんの報告もせずにいたことをお許しください。心の隅にはいつも引っかかってはいたのですけれどね。この程度の時間が必要だったのだろうと思います。
さて、何が迷いの原因だったかを正直に言いますと、それは彼の発言について、どこまでが「懇談会のリーダー」としての発言であり、どこからが個人的な考えを語ったものなのか、その境界線を僕には引くことができなかったという事情によります。そして、今は彼の語った「明らかな事実」以外は、すべて彼の個人的な考えであろうという憶測に自分のバランスを定め、つまりその個人的な範囲のことについては、ここに記述するべきではないだろうという決心を元として、以下、文書を書いていくことにします。
吉田さんとのお会いすることになったきっかけは、まさにスズナリでおこなったSHIMOKITA VOICEの最終シンポに吉田さんが来られ、延長時間ぎりぎりの中で、彼に発言の機会が与えられた際に、その吉田氏の発言に対して、なんどか野次が飛んだということでした。結局彼は許された時間の範囲の中で、とりあえずの発言を終えたのでしたが、どうやら「野次られた」ということが少々ショックだったようで、2日後の彼自信のブログの中で、「結果的に、整備計画に異論を唱えている人たちだけの集会でした。」と結論付けていました。実はこのブログの前日、僕は吉田さんからダイレクトメールをいただいており、それにも「期待を持ってでかけたが、期待はずれだったこと」、そして「妥協点は見いだせそうもない」という結論までが記されたほぼ同じ内容のメールを受けとっています。
しかし、それを読んだ僕の気持ちとしては、「吉田さんがそう考えたということは理解できるけれど、結論は一人で出さないでほしい」ということでした。僕はメールを受け取った直後にすぐにその気持ちをメールにしたためた上、電話もし、日曜日の面談のお約束をしたのでしたが、彼がその直後にご自身のブログに同じ気持ちを表明したということは、この時点では「僕と会ってもなんら状況も、気持ちの変化もあるはずがない」というお考えだったのだろうと思います。
彼と話したことはいろいろあります。ただここでまず記すべきことは「懇談会」がこの4月以降、世田谷区が補助金(これはコンサルタント派遣についていたお金のことのようです)をつけない方針を決めたので、会を継続するべきかどうか、会員内でずいぶん長い議論を続け、結果会費も集めた上で、続けていくことを決めたということでした。そしてその目的は「世田谷区が約束どおりの事業を進めていくかを見守ること」ということでありました。
僕は、自主的にお金を集めながら、会を継続することに決めた懇談会のみなさまに、まずは敬意を表したいと思います。「実質的にまちづくりをするためにはまだまだ決めなければいけないことが山ほどある」と日頃から仰っていたわけですから、単に「事業認可」のアリバイとして、使い捨てられるように、予算枠を外されたことに関してはいろいろ思うところは多かっただろうと思います。多分強い怒りもあったことでしょう。しかし、吉田会長は特にその件に関してご立腹しているような様子も見せず、「街づくり計画は 『実現力を持つ行政や鉄道会社との戦いではなく、行政などと共に作り上げて行くもの』 と認識しております」とブログでも依然仰られているその潔さに、私は感動さえしています。
しかし、僕は今同時に「本当にこれでよかったのですか?」ということを僕は吉田さんを含めた懇談会メンバーの方にあらためて聞きたい気持ちでいます。行政が不正な行為に走ってさえもどうしても押し込みたかった事業認可と同時に決められてしまった地区計画についてはどう思われているのでしょうか?「あんなに高い建物を建てられるようにする必要があるのかはよくわからない」と仰っていたこと。そして、「道を広げるルールがどこもが一律1mというということでも、別にみんながすぐに建替えをはじめるわけではないから、まちがかわるわけではないよ」と仰っていた気持ちは、今まちのあちこちで突然2倍程度の高さのビルが乱立しはじめている今でも変わってはいないのでしょうか?
私は、せっかくの「まちのみんなで、自分たちのまちをつくるルールを話し合う機会」をみすみす逃してしまったようで、残念でならないのであります。
8/13~15日におこなわれたシンポジウムの最終日、最終シンポに吉田さんが出席なさったことについては、先月のブログに記述していたので、記憶しておられる方もいることだろうと思う。実は、その直後の日曜日に、僕はスズナリの野田さんと二人、吉田会長と会った。
何故、その件に関して一ヶ月近くも放置していたかというと、単純に気持ちの整理がつかず、どのような形でみなさまに報告するべきなのかを迷う時間が必要だったのと、実際個人的にとてもタイトな時間を過していたということでした。吉田さんとの会話があったことをなんとなく匂わせつつ、なんの報告もせずにいたことをお許しください。心の隅にはいつも引っかかってはいたのですけれどね。この程度の時間が必要だったのだろうと思います。
さて、何が迷いの原因だったかを正直に言いますと、それは彼の発言について、どこまでが「懇談会のリーダー」としての発言であり、どこからが個人的な考えを語ったものなのか、その境界線を僕には引くことができなかったという事情によります。そして、今は彼の語った「明らかな事実」以外は、すべて彼の個人的な考えであろうという憶測に自分のバランスを定め、つまりその個人的な範囲のことについては、ここに記述するべきではないだろうという決心を元として、以下、文書を書いていくことにします。
吉田さんとのお会いすることになったきっかけは、まさにスズナリでおこなったSHIMOKITA VOICEの最終シンポに吉田さんが来られ、延長時間ぎりぎりの中で、彼に発言の機会が与えられた際に、その吉田氏の発言に対して、なんどか野次が飛んだということでした。結局彼は許された時間の範囲の中で、とりあえずの発言を終えたのでしたが、どうやら「野次られた」ということが少々ショックだったようで、2日後の彼自信のブログの中で、「結果的に、整備計画に異論を唱えている人たちだけの集会でした。」と結論付けていました。実はこのブログの前日、僕は吉田さんからダイレクトメールをいただいており、それにも「期待を持ってでかけたが、期待はずれだったこと」、そして「妥協点は見いだせそうもない」という結論までが記されたほぼ同じ内容のメールを受けとっています。
しかし、それを読んだ僕の気持ちとしては、「吉田さんがそう考えたということは理解できるけれど、結論は一人で出さないでほしい」ということでした。僕はメールを受け取った直後にすぐにその気持ちをメールにしたためた上、電話もし、日曜日の面談のお約束をしたのでしたが、彼がその直後にご自身のブログに同じ気持ちを表明したということは、この時点では「僕と会ってもなんら状況も、気持ちの変化もあるはずがない」というお考えだったのだろうと思います。
彼と話したことはいろいろあります。ただここでまず記すべきことは「懇談会」がこの4月以降、世田谷区が補助金(これはコンサルタント派遣についていたお金のことのようです)をつけない方針を決めたので、会を継続するべきかどうか、会員内でずいぶん長い議論を続け、結果会費も集めた上で、続けていくことを決めたということでした。そしてその目的は「世田谷区が約束どおりの事業を進めていくかを見守ること」ということでありました。
僕は、自主的にお金を集めながら、会を継続することに決めた懇談会のみなさまに、まずは敬意を表したいと思います。「実質的にまちづくりをするためにはまだまだ決めなければいけないことが山ほどある」と日頃から仰っていたわけですから、単に「事業認可」のアリバイとして、使い捨てられるように、予算枠を外されたことに関してはいろいろ思うところは多かっただろうと思います。多分強い怒りもあったことでしょう。しかし、吉田会長は特にその件に関してご立腹しているような様子も見せず、「街づくり計画は 『実現力を持つ行政や鉄道会社との戦いではなく、行政などと共に作り上げて行くもの』 と認識しております」とブログでも依然仰られているその潔さに、私は感動さえしています。
しかし、僕は今同時に「本当にこれでよかったのですか?」ということを僕は吉田さんを含めた懇談会メンバーの方にあらためて聞きたい気持ちでいます。行政が不正な行為に走ってさえもどうしても押し込みたかった事業認可と同時に決められてしまった地区計画についてはどう思われているのでしょうか?「あんなに高い建物を建てられるようにする必要があるのかはよくわからない」と仰っていたこと。そして、「道を広げるルールがどこもが一律1mというということでも、別にみんながすぐに建替えをはじめるわけではないから、まちがかわるわけではないよ」と仰っていた気持ちは、今まちのあちこちで突然2倍程度の高さのビルが乱立しはじめている今でも変わってはいないのでしょうか?
私は、せっかくの「まちのみんなで、自分たちのまちをつくるルールを話し合う機会」をみすみす逃してしまったようで、残念でならないのであります。
by kenzo_stsk
| 2007-09-10 23:04