2008年 02月 13日
本当に「東京にはなにもない」のか? |
11日(祝)、東京ソーダ水の監督、飯塚敏明さんと下平憲治と一緒に対談をした。
これは映画上映の後のトークイベントとしておこなったもの。渋谷のアップリンクはとても小さな映画館であるにもかかわらず、ほぼ満席。20名くらいのお客さんが祝日の昼下がりに映画を観にいらしていた。対談のタイトルは「東京にはなにもないのか?」。これは、映画の最後に流れるナレーション、「東京にはなにもない。」に対して、本当にそうなの?という問題提起を僕からしたものだった。実ははじめてこの映画をみたとき、この一言を聞いて、「じゃぁ、俺たちが運動していることってなんなんだよ」という強い違和感をおぼえたからだった。
とはいっても、わざわざ監督さんに喧嘩を売りにいったわけではありません。その辺りの「真意」は事前に電話で確認済み。東京のきらきらした引力に引かれて、「なんの意思もなく東京にやってきても、なにもありませんよ」という、逆説的な意味でつかったとのことでした。
さて、そんなわけで、このタイトルで話が広がるのだろうかと、少し心配してもいたのでしたが、話は、「東京にはなにもない」のではなくて、ここ2~30年の間に「東京からはなにかがなくなっているのではないか?」という感じで拡がっていったのでした。それは現象としては、そこに生活している若者の熱意のなさや無個性というものとして感じられたりするわけだけれども、実は東京というまち自体が、個性を失い、画一化しようとしていることが問題ではないのか?という大きな話へと発展していきました。
そういうことならば、僕たち“Save the 下北沢”がやってきたことは、まさしく「都市の個性を守るための戦い」であり、まちの将来に積極的にコミットメントする多くの若者たちが意思を示したことだけでも、実はとても大きな意味をもっていたのではないかと思います。そして、それは単に「東京」に限ったことではなく、実は全国で、いやもしかすると世界で同時に発生している現象なのかもしれないと感じました。
みなさんはどう思われますか?
これは映画上映の後のトークイベントとしておこなったもの。渋谷のアップリンクはとても小さな映画館であるにもかかわらず、ほぼ満席。20名くらいのお客さんが祝日の昼下がりに映画を観にいらしていた。対談のタイトルは「東京にはなにもないのか?」。これは、映画の最後に流れるナレーション、「東京にはなにもない。」に対して、本当にそうなの?という問題提起を僕からしたものだった。実ははじめてこの映画をみたとき、この一言を聞いて、「じゃぁ、俺たちが運動していることってなんなんだよ」という強い違和感をおぼえたからだった。
とはいっても、わざわざ監督さんに喧嘩を売りにいったわけではありません。その辺りの「真意」は事前に電話で確認済み。東京のきらきらした引力に引かれて、「なんの意思もなく東京にやってきても、なにもありませんよ」という、逆説的な意味でつかったとのことでした。
さて、そんなわけで、このタイトルで話が広がるのだろうかと、少し心配してもいたのでしたが、話は、「東京にはなにもない」のではなくて、ここ2~30年の間に「東京からはなにかがなくなっているのではないか?」という感じで拡がっていったのでした。それは現象としては、そこに生活している若者の熱意のなさや無個性というものとして感じられたりするわけだけれども、実は東京というまち自体が、個性を失い、画一化しようとしていることが問題ではないのか?という大きな話へと発展していきました。
そういうことならば、僕たち“Save the 下北沢”がやってきたことは、まさしく「都市の個性を守るための戦い」であり、まちの将来に積極的にコミットメントする多くの若者たちが意思を示したことだけでも、実はとても大きな意味をもっていたのではないかと思います。そして、それは単に「東京」に限ったことではなく、実は全国で、いやもしかすると世界で同時に発生している現象なのかもしれないと感じました。
みなさんはどう思われますか?
by kenzo_stsk
| 2008-02-13 18:04
| ■文化

