2008年 11月 29日
My First Touch of "Save the Shimokitazawa" |
そろそろ“Save the 下北沢”、決起5周年の日がやってくる。
まだ5周年記念パーティの詳細については(本当にやるのか、やらないのかをも含め)未定の部分が多いため、発表の段階ではない。しかし、何をするにせよ準備は大切である。せっかく区切りの年でもあることなので、今までの5年間を振り返り、今後の5年間を見据えるための企画をひとつ考えてみた。題して「My First Touch of "Save the Shimokitazawa"」という。
これは、“Save the 下北沢”や“下北沢の都市開発問題”と何らかの関わりをもった方たち(知っているだけという程度の関わりも含み)に、等しく尋ねるアンケートのようなものなのだが、つまりそれをどのように知り、そのとき何をしたか。特に、そのアクションを起こした最初の一日に関して思い出してもらおうという企画である。まあ、種を明かしてしまうならば、5年間をひとりの力で振り返るのはとても大変なので、みんなで一日ずつ思い出してもらって、あっという間にやっつけてしまおうという楽ちん企画なのであります。
例として自分の場合を書いてみたので、以下に貼付しますね。それを参考にあなたの場合を書いて、是非メールを直接僕(kenzo@stsk.net)に送ってください。期限は一応12/20までとしますが、もし来年のはじめ、予定通りにパーティが開かれるようであれば、今年一杯までは受けつけます。送っていただいたものは、当日製本して、まわし読みできるようにしたいと考えています(これに関してはウェブサイトに掲載するつもりはありません。まだ何も問題は解決してないんだから、過去を振り返っている場合じゃないだろ!とお叱りを受けそうでもありますし、当日だけのお楽しみイベントにしたいと考えています)。なお、もしパーティが中止になった場合も、この企画については、やる方向で考えていますので、是非送ってください。そのときは12/21(日)に予定されている忘年会のときに、ファイリングしてお披露目したのち、大切な記録として保存させていただこうと考えております。お手数のことと思いますが、是非ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
【以下貼付:金子賢三の場合】
■あなたは54号線の計画を中心とした下北沢の都市開発計画について、いつごろ(年月、もしわかるなら日にちも)、どのように知りましたか?
2000年前後に、都市計画の白地図をみて知りました。
■計画を知った後、具体的にしたアクションがある方はそれについて教えてください。またそのアクションをおこした時期が分かる方はその年月(わかる方は日にちも)について教えてください。
2002年2月19日に東大原小学校で「都市計画案・環境影響評価書案の説明会」が世田谷区によって開催され、それに対する意見書が、2月26日締め切りで募集されました。
私はその際個人的に、「道路の構造やルートの再検討と、協議会の設置を求めた署名」を展開し、195名の署名を世田谷区に提出しました。
■あなたは“Save the 下北沢”という運動をどのように知りましたか?
2003年12月、NEVER NEVER LAND のオーナーである松崎氏から、反対運動を立ち上げたいが加わって欲しいという依頼を受け、集まった5名で運動を立上げました。それが“Save the 下北沢”のはじまりです。
■あなたが“Save the 下北沢”を知ったとき、このグループは何人くらいで活動している団体だと想像しましたか?
5名ではじめた団体ですが、立ち上がった際にはすでに松崎さんを中心にお店への賛同協力の呼びかけははじまっており、17名の店主などが呼びかけ人として名前を連ねていました。ですから、はじまりの段階で、すでに20名以上の団体であるように思いました。
■あなたは“Save the 下北沢”を知って、下北沢の都市開発問題について、もっと知りたいと思いましたか?また具体的になにか“Save the 下北沢”や他の下北沢都市開発問題に関わる団体に対して、アクションを起こした方はどのようなことをしたか教えてください。
私が“Save the 下北沢”を知った当初は、まだ下北沢の新規道路計画については、知らない人がほとんどだったため、どのようにすれば、短期間にこの問題を社会に認知させることができるかをみんなで議論する必要がありました。最初にとりかかったことは、ウェブサイトとビラをつくるための文書の作成だったと記憶しています。
■上の質問で具体的なアクションをおこした人にお聞きします。
その「はじめての日」の思い出について、印象に残っていることを書いてみていただけますか?
2003年12月某日、松崎氏の呼びかけで“Save the 下北沢”がはじまりました。氏に呼ばれた4名のうち、私にとっては、木下さんを除く2名(下平さん、志田さん)は全くの初対面で、自己紹介をした後松崎さんから、最年少である自分が代表に指名されたので、驚いたと同時に戸惑いました。松崎さんとしては、「地元出身の建築士であるから」ということを理由としておっしゃっていましたが、私が行政の敷いたレールに乗った形での、参加型まちづくり活動を継続していたことなども、指名した理由の背景にはあったのかもしれません。ともかく、いままで運動というものに関わったことのない自分が、運動のプロフェッショナルのような方々を率いて、やっていくことには大変な困難が伴いそうに思いましたので、そのひとりである、下平さんが共同代表として一緒にやってくれるならば受けると即座に条件提示したことを憶えています。
■最後に、もし今後の“Save the 下北沢”に対して要望などがある場合はご記入ください。
今までの5年間は、問題を知らせるための5年間でした。今後の5年間は、問題を分析・研究し、運動をまちに根付かせる5年間なのだと思います。そういう意味で、“Save the 下北沢”は下北沢問題の入口であり、問題解決の方法を楽しみながら模索するサークルのようであり続けることに、はっきりとした意義を見出し、目標設定とするのが良いように思います。地道に息長く活動を継続してくださることを望みます。
※ご協力ありがとうございました。今回のアンケートは5周年イベントの記念資料としてまとめるつもりです。(ウェブサイトへの掲載は考えておりません)。下記に個人情報について、掲載可能な範囲でご記入ください。
●お名前(ペンネーム可) 元代表
●年令(20代など) 44歳
●性別 男
●ご住所(世田谷区北沢など) 世田谷区北沢
●ご職業 建築士
●“Save the 下北沢”との関わり
“Save the 下北沢”のメンバーである YES
“Save the 下北沢”のスタッフである YES
まだ5周年記念パーティの詳細については(本当にやるのか、やらないのかをも含め)未定の部分が多いため、発表の段階ではない。しかし、何をするにせよ準備は大切である。せっかく区切りの年でもあることなので、今までの5年間を振り返り、今後の5年間を見据えるための企画をひとつ考えてみた。題して「My First Touch of "Save the Shimokitazawa"」という。
これは、“Save the 下北沢”や“下北沢の都市開発問題”と何らかの関わりをもった方たち(知っているだけという程度の関わりも含み)に、等しく尋ねるアンケートのようなものなのだが、つまりそれをどのように知り、そのとき何をしたか。特に、そのアクションを起こした最初の一日に関して思い出してもらおうという企画である。まあ、種を明かしてしまうならば、5年間をひとりの力で振り返るのはとても大変なので、みんなで一日ずつ思い出してもらって、あっという間にやっつけてしまおうという楽ちん企画なのであります。
例として自分の場合を書いてみたので、以下に貼付しますね。それを参考にあなたの場合を書いて、是非メールを直接僕(kenzo@stsk.net)に送ってください。期限は一応12/20までとしますが、もし来年のはじめ、予定通りにパーティが開かれるようであれば、今年一杯までは受けつけます。送っていただいたものは、当日製本して、まわし読みできるようにしたいと考えています(これに関してはウェブサイトに掲載するつもりはありません。まだ何も問題は解決してないんだから、過去を振り返っている場合じゃないだろ!とお叱りを受けそうでもありますし、当日だけのお楽しみイベントにしたいと考えています)。なお、もしパーティが中止になった場合も、この企画については、やる方向で考えていますので、是非送ってください。そのときは12/21(日)に予定されている忘年会のときに、ファイリングしてお披露目したのち、大切な記録として保存させていただこうと考えております。お手数のことと思いますが、是非ご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
【以下貼付:金子賢三の場合】
■あなたは54号線の計画を中心とした下北沢の都市開発計画について、いつごろ(年月、もしわかるなら日にちも)、どのように知りましたか?
2000年前後に、都市計画の白地図をみて知りました。
■計画を知った後、具体的にしたアクションがある方はそれについて教えてください。またそのアクションをおこした時期が分かる方はその年月(わかる方は日にちも)について教えてください。
2002年2月19日に東大原小学校で「都市計画案・環境影響評価書案の説明会」が世田谷区によって開催され、それに対する意見書が、2月26日締め切りで募集されました。
私はその際個人的に、「道路の構造やルートの再検討と、協議会の設置を求めた署名」を展開し、195名の署名を世田谷区に提出しました。
■あなたは“Save the 下北沢”という運動をどのように知りましたか?
2003年12月、NEVER NEVER LAND のオーナーである松崎氏から、反対運動を立ち上げたいが加わって欲しいという依頼を受け、集まった5名で運動を立上げました。それが“Save the 下北沢”のはじまりです。
■あなたが“Save the 下北沢”を知ったとき、このグループは何人くらいで活動している団体だと想像しましたか?
5名ではじめた団体ですが、立ち上がった際にはすでに松崎さんを中心にお店への賛同協力の呼びかけははじまっており、17名の店主などが呼びかけ人として名前を連ねていました。ですから、はじまりの段階で、すでに20名以上の団体であるように思いました。
■あなたは“Save the 下北沢”を知って、下北沢の都市開発問題について、もっと知りたいと思いましたか?また具体的になにか“Save the 下北沢”や他の下北沢都市開発問題に関わる団体に対して、アクションを起こした方はどのようなことをしたか教えてください。
私が“Save the 下北沢”を知った当初は、まだ下北沢の新規道路計画については、知らない人がほとんどだったため、どのようにすれば、短期間にこの問題を社会に認知させることができるかをみんなで議論する必要がありました。最初にとりかかったことは、ウェブサイトとビラをつくるための文書の作成だったと記憶しています。
■上の質問で具体的なアクションをおこした人にお聞きします。
その「はじめての日」の思い出について、印象に残っていることを書いてみていただけますか?
2003年12月某日、松崎氏の呼びかけで“Save the 下北沢”がはじまりました。氏に呼ばれた4名のうち、私にとっては、木下さんを除く2名(下平さん、志田さん)は全くの初対面で、自己紹介をした後松崎さんから、最年少である自分が代表に指名されたので、驚いたと同時に戸惑いました。松崎さんとしては、「地元出身の建築士であるから」ということを理由としておっしゃっていましたが、私が行政の敷いたレールに乗った形での、参加型まちづくり活動を継続していたことなども、指名した理由の背景にはあったのかもしれません。ともかく、いままで運動というものに関わったことのない自分が、運動のプロフェッショナルのような方々を率いて、やっていくことには大変な困難が伴いそうに思いましたので、そのひとりである、下平さんが共同代表として一緒にやってくれるならば受けると即座に条件提示したことを憶えています。
■最後に、もし今後の“Save the 下北沢”に対して要望などがある場合はご記入ください。
今までの5年間は、問題を知らせるための5年間でした。今後の5年間は、問題を分析・研究し、運動をまちに根付かせる5年間なのだと思います。そういう意味で、“Save the 下北沢”は下北沢問題の入口であり、問題解決の方法を楽しみながら模索するサークルのようであり続けることに、はっきりとした意義を見出し、目標設定とするのが良いように思います。地道に息長く活動を継続してくださることを望みます。
※ご協力ありがとうございました。今回のアンケートは5周年イベントの記念資料としてまとめるつもりです。(ウェブサイトへの掲載は考えておりません)。下記に個人情報について、掲載可能な範囲でご記入ください。
●お名前(ペンネーム可) 元代表
●年令(20代など) 44歳
●性別 男
●ご住所(世田谷区北沢など) 世田谷区北沢
●ご職業 建築士
●“Save the 下北沢”との関わり
“Save the 下北沢”のメンバーである YES
“Save the 下北沢”のスタッフである YES
by kenzo_stsk
| 2008-11-29 05:56
| ・下北沢問題