2008年 12月 16日
藤谷治さん |
昨晩、「路字」の忘年会があった。

関係者の忙しさから、なんども延期を余儀なくされてきた「路字3号」の打上げをとうとうやった。もう忘年会シーズンでもあるし、来年には持ち越したくないので、決死の覚悟である。年末は誰でも忙しい。しかし、来年に持ち越してはいけないこともあるのだ。はじめ「藤原君とふたりで適当にやる」ことになりそうであった会も、「俺は本気でやるぞ!」とか、「ネバーで夜通し歌うんだ!」とか勝手なことをメーリングリストに書いて、メンバーにネジを巻いてみたら、ゆっくりと、でも着実に人は集まってきた。最後は主要メンバーの4人のみならず、美人ゲスト+ツーまでやってきて、来年も「路字」は安泰という雰囲気で今年を締めることができたのであります。
ところで、散々会の開催を引き伸ばしてきた張本人の仲俣氏が、今回はうれしいゲストをひとりつれてきてくださった。フィクショネスのオーナーであり、小説「下北沢」の著者、藤谷治さんである。藤谷さんは僕や仲俣さんと同じ学年の1963年、東京生まれということで、下北沢をホームグランドにしている以上、この出会いは必然でありました。
いや、実際僕は元“Save the 下北沢”代表であるわけだし、フィクショネスはずっと僕たちの運動を影で支えてくださっている方なわけですから、世間では「僕と彼が昨晩が初対面ということの方が驚き」なんだろうと思う。

実は、僕は読書がとても好きな方なので、小説家ってあまり会わないように気をつけていた。読書って独自の世界(音のない文字だけの世界)に自分を投げ出す行為だから、小説を読んでいるときに、余計な情報(作者の声とか)がその世界に介在することは、あまり好ましいことと思えなかったのである。でも、藤谷さんは、ある種「そのまんま藤谷」という感じの方だったから、今後の読書で声が邪魔になるということもないような気がする。
で、昨晩は散々飲み倒して、夜の1時過ぎに散会し別れたわけだったのだけれど、僕は今日のお昼、開店直後の彼の店を尋ねて、再び彼に会いに行った。「店の前に大きな空き地ができて、今うちの店の前から、「DORAMA」の入口がみえちゃうんですよ。金子さん、どう思います?」と言われた言葉が耳の奥に残っていて、確認せずにはいられなかったからである。
ビルの計画は7階建て。この敷地はこの前、DOCOMOのビルが西側に建ったばかりなのに、これで、南側も完全にふさがれることが決まってしまった。路地に差し込むお日様も、もう限られた時間しか、約束されないということになりそうだ。そろそろ5階程度に抑える方がいいと、みんな思いだしているころじゃないかと思う、今日この頃。

関係者の忙しさから、なんども延期を余儀なくされてきた「路字3号」の打上げをとうとうやった。もう忘年会シーズンでもあるし、来年には持ち越したくないので、決死の覚悟である。年末は誰でも忙しい。しかし、来年に持ち越してはいけないこともあるのだ。はじめ「藤原君とふたりで適当にやる」ことになりそうであった会も、「俺は本気でやるぞ!」とか、「ネバーで夜通し歌うんだ!」とか勝手なことをメーリングリストに書いて、メンバーにネジを巻いてみたら、ゆっくりと、でも着実に人は集まってきた。最後は主要メンバーの4人のみならず、美人ゲスト+ツーまでやってきて、来年も「路字」は安泰という雰囲気で今年を締めることができたのであります。
ところで、散々会の開催を引き伸ばしてきた張本人の仲俣氏が、今回はうれしいゲストをひとりつれてきてくださった。フィクショネスのオーナーであり、小説「下北沢」の著者、藤谷治さんである。藤谷さんは僕や仲俣さんと同じ学年の1963年、東京生まれということで、下北沢をホームグランドにしている以上、この出会いは必然でありました。
いや、実際僕は元“Save the 下北沢”代表であるわけだし、フィクショネスはずっと僕たちの運動を影で支えてくださっている方なわけですから、世間では「僕と彼が昨晩が初対面ということの方が驚き」なんだろうと思う。

実は、僕は読書がとても好きな方なので、小説家ってあまり会わないように気をつけていた。読書って独自の世界(音のない文字だけの世界)に自分を投げ出す行為だから、小説を読んでいるときに、余計な情報(作者の声とか)がその世界に介在することは、あまり好ましいことと思えなかったのである。でも、藤谷さんは、ある種「そのまんま藤谷」という感じの方だったから、今後の読書で声が邪魔になるということもないような気がする。
で、昨晩は散々飲み倒して、夜の1時過ぎに散会し別れたわけだったのだけれど、僕は今日のお昼、開店直後の彼の店を尋ねて、再び彼に会いに行った。「店の前に大きな空き地ができて、今うちの店の前から、「DORAMA」の入口がみえちゃうんですよ。金子さん、どう思います?」と言われた言葉が耳の奥に残っていて、確認せずにはいられなかったからである。
ビルの計画は7階建て。この敷地はこの前、DOCOMOのビルが西側に建ったばかりなのに、これで、南側も完全にふさがれることが決まってしまった。路地に差し込むお日様も、もう限られた時間しか、約束されないということになりそうだ。そろそろ5階程度に抑える方がいいと、みんな思いだしているころじゃないかと思う、今日この頃。
by kenzo_stsk
| 2008-12-16 15:13
| ■人物

