2009年 01月 20日
武者ゼミレポート(その3) |
その3は「下北沢駅北口食品市場の過去から現在」という論文について。

この論文は表題の通り、北口にある「下北沢駅前食品市場」にスポットを当てたものである。論文は日本の「闇市」と呼ばれる場所が戦後どのように発生したかという歴史的な確認から始まり、下北沢食品市場の現状紹介、現在そこで商売を営んでいる方へのインタビュー、かつて繁栄していた市場がどのようにして廃れていったのかの分析、そして最近市場におこっている新しいお店の出現とその理由について、などとても丁寧な分析をおこなっている。
僕の世代も含め、戦争を単に知識としてしかしらない世代にとって、闇市や戦後の雰囲気を想像することは難しい。市民が物に飢え、置いておくだけでなんでも売れたという時代について聞くことは多いし、それなりの基礎的な知識は持ち合わせているものの、体験していないものにしかわからないことは多いものだ。そういう意味では、下北沢の食品市場をみて、論文を書いたような若い世代の人は正直、驚いたのではないかと思う。この論文の根底にも「なぜこのような場所が存在するのだろうか?」という疑問が、はじめにあるように読めた。そして、論者は上記のような丁寧な分析をした後、以下のような文章で論文を閉じている「スーパーの拡大とともに、闇市から続いた古い経営手法が役割を終えようとしている。そして、古い経営者たちは再開発をきっかけにうまく商売を辞めることができる。一方でそこには懐古主義的な価値を求めてやってくる経営者による新しいブランドが生まれつつある。しかし、彼らのもとめるブランドは、小奇麗で近代的な街を創ろうとする再開発とは相容れない。しかし、懐古主義的なブランドを求めてやってくる経営者たちは、今の場所に必ずしものこだわりはなく、再開発となれば素直に去っていく。古くからの経営者も、ブランドを求めてやってくる経営者もどちらもが、再開発という流れには逆らえないという現実に立っているのである。」
“Save the 下北沢”が下北沢の再開発について、疑義を提示したとき、一番初めに聞かれることのひとつに「駅前食品市場についてはどのように考えているのですか?」という質問があった。そんな時、その場所になんの権利をもっているわけでもない僕らが、どうするべきだという発言をすること自体がおこがましいとは思いながらも、行政が書いた計画図にあったロータリーの計画についてはとても良くないと思うという発言だけをしてきた。実際あの場所で商売をなさっている方々にとって、今回の駅前整備の事業が、決して上手くはいっていない商売から手を引く、良いきっかけなのだということは、運動の当初からよく聞いていたし、実際なにか手を入れないと、防災上危険であるという言い分も良くわかる事情だったから、懐古主義的にあの場所を残そうという運動はしなかったということになる。しかし、あの場所に対するファンが多いこともまたひとつの事実である。その感情を「懐古主義的なもの」として簡単に切り捨ててしまってよいものかどうか?そのことだけが、僕には未だに消化不良な状態で残っていることをこの論文を読んで再確認した気がした。

※写真は駅前に闇市のなごりが残っている吉祥寺のハーモニカ横丁

この論文は表題の通り、北口にある「下北沢駅前食品市場」にスポットを当てたものである。論文は日本の「闇市」と呼ばれる場所が戦後どのように発生したかという歴史的な確認から始まり、下北沢食品市場の現状紹介、現在そこで商売を営んでいる方へのインタビュー、かつて繁栄していた市場がどのようにして廃れていったのかの分析、そして最近市場におこっている新しいお店の出現とその理由について、などとても丁寧な分析をおこなっている。
僕の世代も含め、戦争を単に知識としてしかしらない世代にとって、闇市や戦後の雰囲気を想像することは難しい。市民が物に飢え、置いておくだけでなんでも売れたという時代について聞くことは多いし、それなりの基礎的な知識は持ち合わせているものの、体験していないものにしかわからないことは多いものだ。そういう意味では、下北沢の食品市場をみて、論文を書いたような若い世代の人は正直、驚いたのではないかと思う。この論文の根底にも「なぜこのような場所が存在するのだろうか?」という疑問が、はじめにあるように読めた。そして、論者は上記のような丁寧な分析をした後、以下のような文章で論文を閉じている「スーパーの拡大とともに、闇市から続いた古い経営手法が役割を終えようとしている。そして、古い経営者たちは再開発をきっかけにうまく商売を辞めることができる。一方でそこには懐古主義的な価値を求めてやってくる経営者による新しいブランドが生まれつつある。しかし、彼らのもとめるブランドは、小奇麗で近代的な街を創ろうとする再開発とは相容れない。しかし、懐古主義的なブランドを求めてやってくる経営者たちは、今の場所に必ずしものこだわりはなく、再開発となれば素直に去っていく。古くからの経営者も、ブランドを求めてやってくる経営者もどちらもが、再開発という流れには逆らえないという現実に立っているのである。」
“Save the 下北沢”が下北沢の再開発について、疑義を提示したとき、一番初めに聞かれることのひとつに「駅前食品市場についてはどのように考えているのですか?」という質問があった。そんな時、その場所になんの権利をもっているわけでもない僕らが、どうするべきだという発言をすること自体がおこがましいとは思いながらも、行政が書いた計画図にあったロータリーの計画についてはとても良くないと思うという発言だけをしてきた。実際あの場所で商売をなさっている方々にとって、今回の駅前整備の事業が、決して上手くはいっていない商売から手を引く、良いきっかけなのだということは、運動の当初からよく聞いていたし、実際なにか手を入れないと、防災上危険であるという言い分も良くわかる事情だったから、懐古主義的にあの場所を残そうという運動はしなかったということになる。しかし、あの場所に対するファンが多いこともまたひとつの事実である。その感情を「懐古主義的なもの」として簡単に切り捨ててしまってよいものかどうか?そのことだけが、僕には未だに消化不良な状態で残っていることをこの論文を読んで再確認した気がした。

※写真は駅前に闇市のなごりが残っている吉祥寺のハーモニカ横丁
by kenzo_stsk
| 2009-01-20 18:38
| ・武者ゼミレポート

