2009年 03月 01日
記憶 |
今週は次女と過した一週間だった。
週のはじめに長女のウィルス性嘔吐下痢症がうつった次女は結局一週間保育園にいけなかった。今日、久しぶりに堅めのウンチを確認してちょっと安心、ぽかぽかした公園に出かけた。お互い狭い部屋でのふたりきりの生活に飽き飽きしていたのである。
次女は1歳5ヶ月になったばかり。そういえば、長女を連れず次女と二人で公園に来たのははじめてのことだ。大人なら、ほんの2分程度の距離の公園も、1歳児と手をつないで歩くとやけに遠く感じた。途中なんども「右手と左手を変えてくれ」という要求もあったし、へこたれて「抱っこ~!」になりそうな気配もあった。「ほら、もう公園がみえてきたよ!」と励ましつつ、とにかく歩かせてみる。
せっかく初めてきた二人きりの公園なので、一人でブランコもやらせてみた。「手を離しちゃダメだよ、落ちちゃうからね」と言い聞かせると、力強く「うん!」というので、おそるおそる背中を押した。…押すこと10分…「もうやめない?」と聞いてみたが、「ううん。」と力強く否定。結局油断して手を離して脱落して大泣きした。次女は長女に較べると慎重派で臆病な性格である。これが心の傷になって二度とブランコをしなくなったりしたら嫌だなと思いながら、泣き止んだ次女に「もう帰ろうか?」と聞いたら、「もう一回!」とブランコを指差したので、ちょっと安心した。ちょっとずつ力強くなってきたなぁと少し感心。結局2度目は15分で脱落。なかなか懲りないタイプである(そのあと、グローブからも脱落したから都合3回でした…)。
気長に次女の背中を押しながら、この公園のことをいろいろ思い出した。フェンスや遊具の位置も、なんどか変わってきたので、利用する年代も微妙に昔とは変化したようだ。昔は中央が割合広めだったので、もう少し年長の子供たちが、ゴムボールをつかって激しく遊ぶことの多い時期もあった。滑り台やブランコの位置も昔とは違うのだけれど、ただひとつ場所が変わっていない遊具は「砂場」。そしてもうひとつ位置が変わっていないのは便所である(当然か…)。実はこの便所を作ったとき、僕は少しだけ手伝った記憶がある。便所の下に大きな穴を掘るのに(昔は水洗ではなかったから、下に浄化槽を設置したのだと思う。とにかく大きな穴だった)ベルトコンベアーで土をトラックの荷台に移していて、その土の塊を棒で叩いて細かくする作業を手伝ったのである。だから、なんとなくこの公園は「自分も作った」感がある。つまり僕にとって間違いなくはじめての建築工事体験だったということになるのだろう。
近所の公園でのんびりと次女の背中を押していると、いろいろなことを思い出す。
追想:そういえばあの時、もうひとり誰か友達と一緒だったのだけれど、それは結局思いだせません。誰だったかなぁ??
週のはじめに長女のウィルス性嘔吐下痢症がうつった次女は結局一週間保育園にいけなかった。今日、久しぶりに堅めのウンチを確認してちょっと安心、ぽかぽかした公園に出かけた。お互い狭い部屋でのふたりきりの生活に飽き飽きしていたのである。
次女は1歳5ヶ月になったばかり。そういえば、長女を連れず次女と二人で公園に来たのははじめてのことだ。大人なら、ほんの2分程度の距離の公園も、1歳児と手をつないで歩くとやけに遠く感じた。途中なんども「右手と左手を変えてくれ」という要求もあったし、へこたれて「抱っこ~!」になりそうな気配もあった。「ほら、もう公園がみえてきたよ!」と励ましつつ、とにかく歩かせてみる。
せっかく初めてきた二人きりの公園なので、一人でブランコもやらせてみた。「手を離しちゃダメだよ、落ちちゃうからね」と言い聞かせると、力強く「うん!」というので、おそるおそる背中を押した。…押すこと10分…「もうやめない?」と聞いてみたが、「ううん。」と力強く否定。結局油断して手を離して脱落して大泣きした。次女は長女に較べると慎重派で臆病な性格である。これが心の傷になって二度とブランコをしなくなったりしたら嫌だなと思いながら、泣き止んだ次女に「もう帰ろうか?」と聞いたら、「もう一回!」とブランコを指差したので、ちょっと安心した。ちょっとずつ力強くなってきたなぁと少し感心。結局2度目は15分で脱落。なかなか懲りないタイプである(そのあと、グローブからも脱落したから都合3回でした…)。
気長に次女の背中を押しながら、この公園のことをいろいろ思い出した。フェンスや遊具の位置も、なんどか変わってきたので、利用する年代も微妙に昔とは変化したようだ。昔は中央が割合広めだったので、もう少し年長の子供たちが、ゴムボールをつかって激しく遊ぶことの多い時期もあった。滑り台やブランコの位置も昔とは違うのだけれど、ただひとつ場所が変わっていない遊具は「砂場」。そしてもうひとつ位置が変わっていないのは便所である(当然か…)。実はこの便所を作ったとき、僕は少しだけ手伝った記憶がある。便所の下に大きな穴を掘るのに(昔は水洗ではなかったから、下に浄化槽を設置したのだと思う。とにかく大きな穴だった)ベルトコンベアーで土をトラックの荷台に移していて、その土の塊を棒で叩いて細かくする作業を手伝ったのである。だから、なんとなくこの公園は「自分も作った」感がある。つまり僕にとって間違いなくはじめての建築工事体験だったということになるのだろう。
近所の公園でのんびりと次女の背中を押していると、いろいろなことを思い出す。
追想:そういえばあの時、もうひとり誰か友達と一緒だったのだけれど、それは結局思いだせません。誰だったかなぁ??
by kenzo_stsk
| 2009-03-01 02:08
| ■生活